第26段 車引段

第26段

車引段 

車引きの段 

若太夫直伝

 

去る程に照手姫

餓鬼阿弥車のそばに寄り

女綱男綱を取り分けて

「これこれ、如何に、人々い

その自らと申するは

父母孝養(ふぼきょうよう)のその為に

上下五日の施主なれば

小萩が音頭で引かすなり

えいさらえい」

と、照手姫

車の音頭を取り給えば

あら、不思議の次第なり

両輪が大地へめり込んで

押せども引けども動かねど

姫が音頭と、聞くよりも

妹背の縁に引かされてや

クルリクルリと回りける

姫が涙か知らねども

垂井の宿を引き出だし

僅か、五日の旅の空

いとど心は、関ヶ原

不破の関屋の板庇(いたびさし)

月漏れとてやまばらなる

「はあ、それそれ、

大中臣の朝臣(あそん)親盛卿(ちかもりきょう)の御歌に

『吹き替えて、月こそ漏らね板庇

疾く澄みあらせ、不破の関守』

昔に変わる、今津の宿

美濃と近江の国境

姫も、相模に在りし時

乾の殿の奥の間で

二世と交わせし小栗様

交わす枕の睦言に

変わるまいぞや、変わらじと

寝物語も、早や昔

せめてひと夜も柏原

枕に結ぶ夢さえも

早や、醒ヶ井の宿を越え

嵐、小嵐、番場、吹けとて、袖寒き

摺針峠の細道を

「えいさらえい」と引き降ろし

あれ、鳥本の鳴く音さえ

空に一声、高宮の

愛知川渡れば、千鳥立つ

御代も目出度き、武佐の宿

鏡山とはこれとかや

「その昔、大伴の黒主卿の御歌に

『鏡山、いざ立ち寄りて見て行かん 歳経ぬる身の老いや死ぬる』と

姿はさのみ、映らねど

鏡山とは懐かしや

えいさらえいと引く程に

雨は降らねど守山の

かの餓鬼阿弥の胸札に

露とて、さらに浮かめねど

草津の宿とはこれとかや

頃しも五月(さつき)の半ばにて山田、沢田を眺むれば

さも美しき早乙女が

紺の脛巾(はばき)に玉襷(たまだすき)

早苗、おっ取り、打ち連れて

田唄をこそは、唄とうたり

「植えい、早乙女、田を植えい

笠を買うてたもるなら

何畝(なんせ)なりとも植えまんしょ

植えい、早乙女、田を植えい」

勧農の鳥、ホトトギス

山雀、小雀、四十雀

あの鳥だにも、さ渡らば

五月農業は、盛んなり

小草、若草、踏み分けて

「えいさらえい」と引く車

尚も思いは、近江路や

瀬田の唐橋へ、しっとん、とどろと、引き上げて

橋の半ばに車を留め

「はあ、面白の近江路お八景

兼ねては聞けど、目に見る事は今が初(はつ)

遥かに見えるその昔

田原藤太秀郷殿

射とめ給いし百足山

此方に高きは石山寺

秋の月とて冴えるとも

姫が心は冴えやらぬ

堅田に、落つる雁音(かりね)にも

只、忘らぬ夫のこと

なろう事なら、自らも

冥途に急ぎ、夫上に

会いたや、見たやと思えども

粟津に帰る、あの船が

あれが矢橋(やばせ)の帰帆とや比良の高嶺にあらねども

心は暮雪と積もるなり

あれ三井寺の鐘の音も

いとど哀れは唐崎の

姫は、浮き世のひとつ松

志賀の浦曲(うらわ)に船泊めてあの山見さいな、この山見さいな

艪櫂(ろかい)の音に驚いて

沖でカモメが、はっと立つ

ああら、労しの照手姫

「あれ、鳥さえも、あの様に

番い離れぬ夫婦なり

夫に離れて、自らは

ねぐら定めぬ、寡婦鳥(やもめどり)

思えば、思えば悲しや」と

夫の別れを思いつつ

涙に暮れて照手姫

「えいさらえい」と引く車

粟津、松本、膳所(ぜぜ)の城

赤前垂れ(あかまいだれ)の茶屋が軒

弓手に高きが幻住庵(げんじゅうあん)

関の明神、伏し拝み

登る所が車坂

既に三日の暮れ方は

登る大津や関寺の玉屋が門に車着く

 

第27段 大津別段

 第27段

大津別段 

おおつわかれの段 

若太夫直伝

 

去ればにや、これは又

姫は、車を留められ

「はあ、今日も暮れてある

自らが、この餓鬼阿弥に付き添うも

今宵一夜を限りとす

今宵は、宿をも取らずして

この餓鬼阿弥の車のそばにて

一夜(ひとよ)の伽(とぎ)をいたしましょう

のう、餓鬼阿弥」

と、その夜は宿をも取らずして

只、終夜(よもすがら)、一夜の伽をなされしが

余りの物憂さに

車の轍に寄り添うて

「これ、餓鬼阿弥殿

自らが、物を語らば

ようぞ、聞いて下され

女子(おなご)だてらに御主に

上下五日のお暇を給わり

そなたを、これまで遙々、

引いて来たのも、別ならず

恥ずかしながら、自らも

二世を交わせし我が夫の

小栗判官政清様の

父上や兄三郎の悪逆にて

七物毒酒を盛られ

十人殿原諸共に

非業の最期をお遂げなされ

冥途黄泉とやらに、おわすとある

その我が夫や殿原達の菩提の為に

そなたを、これまで引いて来ました。

そなたは、冥途の方よりも遙々

この土へ戻る、餓鬼阿弥殿とあるからは

定めし、冥土の事は詳しく知ってであろう

冥途という所は

どのような所で

我が夫様や、殿原は

どんな浄土にましますや

定めし、こなさんが

冥途で、会うて来たであろう

これ、餓鬼阿弥殿

語り聞かせて下され

これはしたり

最前から、自らが

この様に、ものを尋ぬるに

そなたは、耳が聞こえぬか

たとえば、耳は聞こえずとも

目だにも見ゆるものならば

一筆書いて、冥途の事が問いたやと

思うに甲斐なき、こなさんは

耳は聞こえず、目は見えず

もの言うことの叶わぬとは

ちいい、思うに、甲斐無き、餓鬼阿弥」と

夫の小栗と夢知らず

車の轍に取り縋り

深くも嘆かせ給いしが

もの哀れは照手姫

左迄に心は込めけるが

習わぬ旅の疲れにや

つい、とろとろと、寝入らるる

既にその夜も、今は早や

三更四更(さんこうしこう)の時も過ぎ

円寺の鐘に誘われて(三井寺:園城寺のこと)

夜明け烏が告げ渡る

姫君、ふっと目を醒まして

「ありゃ、東雲の明け烏

夜明けぬうちにもどりましょう

はあ、それそれ

この餓鬼阿弥車の施主は多けれど

自らは、上下五日の施主なれば

せめて別れに、胸札は、

一筆記して別れん」と

矢立を取り出し

鹿の巻筆、噛み降ろし

墨、含ませて、餓鬼阿弥の

襟に懸けたる胸札の裏を返し

思し召さるる子細をば

事細やかに書き記し

月日で筆を留(とど)められ

『ひとつ、この餓鬼阿弥車の施主は多けれど

中山道は美濃国

垂井の宿、萬屋長右衛門が召し使い

下の水仕、常陸の小萩

上下五日の施主なりし

本復の折からは

必ず尋ね、立ち寄り下さるべし

月日』

こうして、記しておいたなら

この餓鬼阿弥が

熊野山、湯の峰とやらにて

本復いたしてあるならば

定めし戻りには

自ら方へ尋ねてくれるであろう

その折からはには

冥途の様子を尋ねましょう

さあらば、美濃路へ戻らん

餓鬼阿弥殿

これが別れに候ぞ

さらば、さらば」

と、照手姫

車の元を離れしが

妹背の縁に引かれてや

一足歩みて振り返り

二足歩み見返りて

「名残惜しかの束の間も

別れとなれば、悲しや」と

そのまま、そこへ駆け戻り

轍に縋って

「ちえい、不思議な事じゃ

今、こなさんに別れて

美濃路に戻らんとすれば

しきりに、別れが辛い

縁も所縁(ゆかり)もないこなさんに

この様に自らが

別れの辛い筈がない

思い回せばいつぞや

相模の国、乾の殿の奥の間で

我が夫の小栗様に別れし時と

今、こなさんに別れて

美濃路へ戻るを

ひとつ心地に思う

ちいい、別れが辛い、悲しい

何故にこなさんは、ものが言われぬぞいのう

これ、餓鬼阿弥殿

はあ、この身が儘になるならば

熊野本宮湯の峰まで、送り届けて

こなさんの身の本復を見届けて

その後、美濃路へ戻りたい

何を言うにも自らは

御主持つ身なれば

我が身で我が身が儘ならぬ

別れが、辛い、悲しい」

と、車の轍に取り縋り

消えるばかりの御嘆き

斯くても、果てじと 姫君は

ようよう、涙を押し留め

「これはしたり、自らとしたことが

縁も所縁も無き、この餓鬼阿弥に

別れを惜しみ

これにて、嘆きに暇とらば

戻る二日が遅なわらん

いつも別れは同じ事

さあらば、美濃路へ戻りましょう

これが別れに候ぞ

さらば、さらば」

と照手姫

ようよう心取り直し

玉屋が門を立ち出でて

美濃の垂井へ戻らるる

 

第28段 道者車段

第28段

道者車段 

どうしゃくるまの段 

若太夫直伝

 

去ればにや、これは又

後にも残る餓鬼阿弥は

頼りの姫に捨てられて

耳は聞こえず

目は見えず

もの言うことも叶わねば

只呆然と居たりしが

夜はほのぼのと明けけるが

皆、村内の人々は

「あれあれ、玉屋の門前へ

餓鬼阿弥車が着いたる」と

我も我も、見物の

玉屋が茶屋の門前は

人で山築くばかりなり

おっ取り巻いて、評議取り取り

「何々、

『ひとつ、この餓鬼阿弥、

紀伊の国、熊野本宮、湯の峰へ送るものなり

ひと引きが千僧供養

ふた引きが万僧供養

三引き四引きも引く者は

久離兄弟菩提の為

相模の国、藤沢山清浄光寺』

さては、この餓鬼阿弥は

音に聞こえし

相模の国、藤沢の遊行寺より出でて

紀伊の国、熊野本宮、湯の峰へ登る車

冥途に、餓鬼阿弥という者あるとは聞いたる

目に見る事は、今が初めて

左迄の功徳のこの車

何とひと引きづつ施主に付こうじゃあるまいか」

皆々、聞いて

「成る程、左迄、功徳のこの餓鬼阿弥

おららも、ひと引き

引きましょう」

「そんなら、わしらも

施主に付きましょう」

と、女綱男綱を繰り分けて

父無き者は父の為

母無き人は母の為

先祖の為とて、引くもあり

我が身の為とて引くもあり

老若男女の隔て無く

「えいさらえい」と引く程に

霊屋が門を引き出だし

引けば程無く日岡峠に差し掛かる(※京都市山科区)

後より来たるのが

西国札打つ巡礼に

熊野詣の道者達

皆、打ち連れて来たりしが

彼の餓鬼阿弥を見るよりも

胸の木札を打ち眺め

「何々

『ひとつ、この餓鬼阿弥

紀伊の国、熊野本宮、湯の峰へ

送るものなり

ひと引きが千僧供養

ふた引きが万僧供養

三引き四引きも引く者は

久離兄弟、菩提の為

相模の国、藤沢山清浄光寺』

さては、これが、道中筋で噂のあった餓鬼阿弥じゃ

何と同行衆

どうで、おらも一番、那智山(※文意不明)

左迄の功徳のこの餓鬼阿弥

今から、わしらが道行きで

熊野山まで、施主に付こうじゃあるまいか」

「成る程、こりゃ良かろう」

「そんなら、おらが、音頭

取りましょう

先ず一番に

『補陀落や 岸打つ波は 三熊野の那智の御山に響く滝津瀬』(※御詠歌:青岸渡寺)

えいさらえい」

と、引く程に

宿の名残も重なりて

南海道は紀伊の国

室の郡(ごおり)音無川に隠れ無き(※牟呂郡:三重から和歌山)

備ヶ里(そなえがさと)に着きにける(※ 大斎原対岸備宿)

皆々、そこに集まりて

「なんと、皆の衆

どうやら、こうやら

これまで引いて来たことは来たけれども

これから、湯壺の元へは

車では思いもよらぬこと

というて、このままここへ捨て置くなら

『仏一体刻んでも

開眼せざれば

魂入らぬ』の道理とやら

とてものことに

山籠(やまかご)一丁、借り受けて

この餓鬼阿弥を、籠に載せて

一肩づつも代わりやって

湯壺の元まで、担ぎ上げようじゃあるまいか」

「おお、成る程

それが良かろう

そんなら、山籠一丁求めん」

と、辺りの茶屋へ走り行き

山籠一丁、借り受けて

彼の餓鬼阿弥を載せられて

湯壺を指して、担ぎ行く

車を捨てたる所をば

昔が今に至るまで

小栗判官政清が車塚とて名が残る

(※本宮と湯の峰の間)

情けも深き道者達

険しき熊野の山坂を

互いに肩を代わりやい(※合い)休み休みて、ようようと

湯壺の元に、着きにける

彼処に得、籠を降ろされて

「何と、皆の衆

これが即ち、湯壺の元

これまで、担ぎ上げたれど

これから、この餓鬼阿弥を

湯壺の中へ入れて

本復させるのは、

なかなか凡人技では行かぬ

こうして置いて

権現様をお頼み申すより

外の事はあるまい

のう、皆の衆」

「おお、それそれ

おららも又

札打つ事が肝心じゃ

(※地蔵に札を貼ること)

そんなら、ここへ捨て置いて

権現様へ参りましょう

さあさあ、皆の衆

来やしゃれ」

と、我も我もと打ち連れて

権現様へと登り行く

 

第29段 本復段 上

第29段

本復段 上 

ほんぷくの段 

若太夫直伝

 

去ればにや、これは又

斯くて社になりぬれば

嗽、手水で身を清め

知らせの鰐口、打ち鳴らし

皆一心に手を合わせ

「南無や熊野大権現

請い願わくば、願わくば

あの餓鬼阿弥の身の上を

本復なさしめ賜び(たび)給え」

と、事懇ろに伏し拝み

皆、打ち連れて道者達

那智の御山へ急がるる

 

それはさて置き、餓鬼阿弥は

頼りの道者に捨てられて

かの山籠のその中に

呆然として居たりしが

ああら不思議の次第なり

何処よりかは来たりけん

異形の形現われて

かの餓鬼阿弥を籠の内より引き出し

襟に懸けたる木札をはずし

松の梢に掛けられて

彼の餓鬼阿弥を湯壺の中へ入れられて

掻き消す如くに失せにける

 

湯壺の内にて餓鬼阿弥は

誠に冥途黄泉より湧き出づる

薬湯の威徳にて

初手七日と申すには

太鼓の如く張ったる腹も薄(ひす)ばりて

二七日目(にしちにちめ)と申すには

番い番いも治りける

三七日目(さんしちにちめ)と申すには

総身の色艶治り、肉も載り

四七日目(よんしちにちめ)と申するには

頭(こうべ)に髪の毛生い立ちて

五七日目と申すには

仄かに耳も聞こえ来て

六七日目と申すには

言語(ごんご)の呂律も回りける

七七四十九日、明け方は

早や両眼も明らかに

元の小栗と本復し

湯壺の内より出でにけるが

神変不思議の次第なり

判官、辺りを見回し

「はて、合点の行かぬ

我は、相模の国の郡代

横山将監照元の乙の姫

照手の姫が色香に迷い

押し入り聟が仇となりて

七物毒酒を盛られて

十人殿原諸共に

非業の最期を遂げ

冥途黄泉へ赴きしと思いしに

見れば、冥途にあらで、正にこの土

合点の行かぬことなる」と

辺りをつくづく見てあれば

こなたの松の梢には

ひとつの木札の掛けありし

「なになに、『ひとつこの餓鬼阿弥

紀伊の国、熊野本宮湯の峰に送るものなり

ひと引きが千僧供養

二引きが万僧供養

三引き四引きも引く者は

久離兄弟菩提の為

相模の国藤沢山清浄光寺』」

浦を返し

「『ひとつ、この餓鬼阿弥

数多施主もある中に

中山道、美濃国

垂井の宿、萬屋長右衛門が下の水仕

常陸の小萩

上下五日の施主なりし

本復の折からは

必ず尋ね立ち寄り下さるべし

月日』

さては我、餓鬼阿弥となって

娑婆へ帰り

相模の国、藤沢山清浄光寺

遊行上人の計らいにて

地車に乗せられ

海道を数多の人に引かれしか

さすれば、これが、紀伊の国

熊野山、湯壺の元にてありけるや

一旦この世を去りしも

再び、この土へ娑婆帰り

斯く本復いたすこと

未だ我、武運に尽きざる所

はあ、有り難や、嬉しや

さあらば、これより

都へ上り、父母(ちちはは)に対面なし

その後、御門へ参内なし

勘気の御(おん)詫び願い

相模の国へ馳せ下り

横山親子の奴原を

攻め滅ぼし

十人殿原達の修羅の妄執、晴らさん

さあらば、都へ急がん」

と、湯壺の元を立ち出でて

都を指して行かんとす

ああら不思議の次第なり

 

第29段 本復段 下

第29段

本復段 下 

ほんぷくの段 

若太夫直伝

 

(ああら、不思議の次第なり)

俄に辺りはものすごく

後ろの方より高らかに

「判官、待て」

と、ありければ

判官、はっと驚き、後振り返り

「はて、合点の行かぬ

人家離れしこの山中

判官待てと、声掛けしは

何者なる」と

見ゆる向こうの方よりも

衣冠正しき老人の

何やら御手(おんて)に触れ給い

只静々と歩み来る

思わず知らず小栗殿

大地にはっと平伏す

老人、微妙の御声高らかに

「善哉善哉

小栗判官政清

物を語らば、謹んで承れ

一旦この世を去りし者

再びこの土へ娑婆帰り

身の本復を致す事

私ならず

冥途黄泉より湧き出づる

薬湯の威徳なり

その儘都へ上るとも

父母の対面は叶うとも

御門へ参内、勘気の御詫び、思いもよらず

余りと申せば、汝が志しの不憫さに、これを与える

こりゃこれ

頭巾、篠懸(すずかけ)、法螺の貝

日笠に草鞋(わらんず)

まった、二本の桧杖(ひづえ)を授くること、別儀にあらず

これより八丁麓には

音無川と申す流れあり

その音無川へ急ぎ

一本の桧杖、水中へ投げ込み

桧杖、水上に上るなら

その身の出世と心得よ

まった、日笠は、天の恐れを除けるが為

草鞋は、薬湯にて、本復なしたる者

日がら、たぎる内に

地息(じいき)を受けてあるならば

再び餓鬼の病、ぼうじゃく(?冒・惹?)致すこと、治定

地息を除ける為のこの草鞋

頭巾、篠懸、影身に纏い

残る桧杖を、金剛杖となし

家々事に門に立ち

『熊野詣の行者なり、斎料所望』

と、乞い受けて

都へ上りてあるならば

父母の対面は申すに及ばず

御門への参内、勘気の御詫び、相済んで

その身の出世いたすべし

努々(ゆめゆめ)疑う事なかれ

我を誰とか思うらん

当山、熊野権現なり

誠の姿、これを見よ」

と、神勅、あらたかに示されて

掻き消す如くに失せ給う

小栗は、夢とも弁えず

「さては、あなたは

当山の権現様にてましますや

あら有り難たき、御告げ」と

御後(おんあと)暫く、伏し拝み

「さあらば、お告げに任さん」と

頭巾、篠懸、法螺の貝

日笠に草鞋、二本の桧杖、押し戴き

とある御山の方よりも

音無川へと急がれける

急げば程無く小栗殿

音無川になりぬれば

一本の桧杖、目八分目に携えて

逆巻く浪のその中へ

ざんぶと桧杖を投げ込んだり

音無川と申するは

那智より落ちくる

矢を突く如くの水勢を

ものの不思議は、彼の桧杖

逆巻く浪に逆ろうて

水上指して上りける

判官、それと見るよりも

御山(みやま)の方を伏し拝み

「はあ、有り難や、嬉しや

桧杖、水上へ上る上は

この身の出世、疑いなし

さあらばこれより、熊野詣での行者と姿をやつし

父の館へ急がん」

と、篠懸取って身に纏い

頭巾を額に押し当てて

日笠をいただき、四乳(よつぢ)の草鞋、履きならし

残りし一本の桧杖を金剛杖と仕り

法螺貝取って、高らかに

門出で祝い、吹き鳴らし

「熊野詣での行者なり

斎料所望」と乞い受けて

都を指して上らるる

 

第30段 矢取段 上

第30段

矢取段 上 

やとりの段 

若太夫直伝

 

さればにやこれはまた

これも都に隠れ無き

三条高倉大納言兼家卿の館こそ

既に我が子、小栗判官政清が

早や一周忌の追善

せめては菩提のその為に

幾中(いくなか?)幾重の乞食、非人

又は 町家(ちょうけ)の者なりとも

叶わぬ者には、施行をいたさんものなりと

門前には小屋を建て

数なる俵を積み重ね

真竹(まだけ)の矢来を結い回し程無くその日になりぬれば

乞食非人をはじめとし

又、町家の者共も

叶わぬ者は者は一同に

今日の御施行、受けばやと

高倉殿の門前は

人で山築くばかりなり

 

掛かる所へ小栗殿

ようよう尋ね来たりしが

施行の体(てい)を見るよりも

合点の行かぬ事なると

暫く、伺いいたりしが

何思いけん、小栗殿

掛かる施行に構わずし

門内指して、つうと入り

法螺貝取って吹き鳴らし

「熊野詣での行者なり

斎料所望」

とありければ

侍、一人(いちにん)立ち出でて

「これはしたり

当御館には、大切なる御法事ありて

あの通り、門前にて施行を出だす

熊野詣での行者とあらば

何故門前にて施行を受けて取らぬ

貝吹き鳴らして、やかましい

とっとと、ここを出でませい」

と、追い立てられて、小栗殿

宝の山に入りながら

この儘、空しく戻るかと

心は弥猛(やたけ)に逸(はや)るとも

我が身の上の誤りに、返す言葉もあらずして

只すごすごと門前指して出でて行く

折しも物見の方よりも

兼家卿の北の方

静々そこへ出で給い

「これこれ、待て

只今、あれにて聞きつれば

熊野詣での行者

斎料所望とある

門前にて出だす施行

ありゃ、乞食非人

例えば、寺の者なりとも

叶わぬ者へ出すがあの施行

熊野詣での行者とあらば

何故に呼び入れ

斎の一飯(いっぱん)なりと参らせん

知っての通り、今日は大切なる

我が子判官政清が一周忌の追善

早く、行者を呼び返し

客間に通し

斎の一飯なそ進ぜてよからん」

と、仰せに侍

「はは、畏まって候」

と、門前指して走り行く

「行者、これへ」

と、連れ来たり

草鞋、脚絆を脱ぎ取らせ

客間へ通し

お茶、煙草盆、持ち来たり

程無く膳部を出されて

よきにも労り、馳走なす

遥かあなたの一間より

ものの哀れは御台様

客間の方をご覧じて

はっと驚き

「はて、合点の行かぬ

あれなる行者

顔の面差し年の頃

我が子判官政清に

似たりや似たり、花菖蒲(はなあやめ)

菖蒲に紛う杜若(かきつばた)

さても不思議の行者ぞ」と

親子の機縁に引かれてや

思わずそこを立ち出でて

静々、客間へ入らせられ

「これこれ、行者殿

最前、聞きつれば

熊野詣での行者

斎料所望とある

何処(いづ)方より何国(いづく)へ通らせ給う

行者殿」と、仰せに判官

はっと面(おもて)を上げ

母上様と言わんとせしが

我が身の上の誤り

「はっはあ、

某は、常陸の国の者にて候が

此の度、大願あって

紀伊の国、熊野山より大和葛城金峯山へ

掛け越しを仕りし行者にて候」

御台は聞いて

「すりゃ、行者殿には

あの、常陸の人にて候とや

ちいい、常陸と聞けば懐かしい

物を語らば、聞いて下され、行者殿

たった一人の我が子小栗判官政清

子細あって、御門の御勘気を蒙りて

十人殿原諸共に

常陸の国へ流罪なす

その後、相模の国の郡代

横山将監照元の乙の姫

照手の姫の色香に迷い

押し入り聟が仇となって

七物毒酒を盛られ

十人殿原諸共

非業の最期を遂げしとあり

今日、門前にて出だすあの施行

即ち、我が子小栗判官政清が

一周忌の追善

行者殿には、常陸人とあるからは

定めし、我が子判官政清が

常陸にありしその時の

様子は知ってありつらん

せめては、菩提のその為に

語り聞かせて下され」と

涙に暮れての給えば

判官、今は、こらい(※え)かね

「申し、母上様

斯く言う行者こそ、

即ち、小栗判官政清にて候」

御台ははっと驚き

「我が子判官政清は

相模の国の郡代

横山将監照元の乙の姫

照手の姫の色香に迷い

押し入り聟が仇となりて

七物毒酒を盛られ

非業の最期を遂げしとある

今又、熊野詣での行者となって来ること

何様(なにさま)をもって、心得難し

定めしこれには

子細ぞあらん」

仰せに判官

はっと面を上げ

「成る程、母上様の御不審なご尤も

一通り、物語仕らん

仰せの通り

横山将監照元の乙の姫

照手の姫の色香に迷い

押し入り聟が仇となって

七物毒酒を盛られ

十人殿原諸共に

非業の最期、仕って候が

いかなる事に、我一人

餓鬼阿弥となって娑婆帰り

相模の国、藤沢寺、遊行上人の情けにて

地車に乗せられ

海道を数多の人に引かれ

紀伊の国、熊野本宮湯の峰へ登り

冥途黄泉より湧き出でる

薬湯の威徳にて

難無く本復仕り

有り難くも

熊野権現のお告げに任せ

斯く行者姿となって

遙々尋ね参って候

只この上は

何卒、母上様の御情けにて

父上様の御前、お取りなし

偏に願い奉ります

母上様」

「さては、左様に候か

一旦、この土を去りし者

再び、この土へ娑婆帰り

親子の対面いたすとは

類い希なる判官政清

何はともあれ

父上様へ申し上げん

暫く、これに」

と、言いつつ立って

一間を指して入り給う

 

第30段 矢取段 下

第30段

矢取段 下 

やとりの段 

若太夫直伝

 

斯くては御前になりぬれば

両手をつかい

「申し、夫上

只今、我が子判官政清が

熊野詣での行者となって

尋ねて参りましてござります

お会いなされてつかわさりましては如何に候」

と、言わせも果てず

「狼狽い(※え)たか御台

この世を去ったる判官政清

何しに、熊野詣の行者となって尋ねて来よう

流罪なしたるその後は

明けては判官懐かしい

暮れては判官懐かしいと

我々が朝夕共に歎く故

今日、一周忌の追善を幸いに

迷い変化の奴原

我々夫婦が性根を奪わんと

我が子小栗となって

入り来たりしと覚えたり

誠に我が子にあるならば

許し置いたる矢取の手練、候えば

いで、高倉が正体を見現してくれんず」と

そのままそこを立ち上がり

長押に懸けたる

重藤の弓と矢、取って

大納言、一間の内より現われて

遙かの客間に打ち向かい

「やあやあ、如何に

それなる行者

誠、我が子にあるならば

許し置いたる矢取の手練候えば

高倉、これより放つ矢を

みんごと、それにて受け止めよ」

と、大の尖り矢、弦に懸け

既にこうよと見えければ

小栗は、はっと驚いて

「我も元の小栗なら

みんごと、その矢も受け(※く)べきが

一旦冥途へ赴いて

この身を汚せし事なれば

もしもその矢を受け損じ

父の矢先に掛かりつつ

死する命は惜しまねど

本復なしたる甲斐が無い

如何はせん」

と、小栗殿

暫く、思案なされしが、思い定め

「鞍馬が大悲多聞天

木の宮八幡大菩薩

神力添えさせたびたまえ」と

只一心に念じられ

すっくと立って、胸板広げ打ち叩き

「父上様、その矢をこれへ」と

ありければ

「心得たり」と大納言

弓と矢、きりきり引き絞り

切って放てば、小栗殿

「心得まして候」と

弓手にしかっかと握らるる

二の矢を番いて、引き絞り

切って放てば

馬手にしっかと握らるる

三の矢番い引き絞り

切って放てば、小栗殿

「心得ました」

と身を沈め、口にてしっかと咥えしは

神変不思議の次第なり

高倉、重藤、投げ捨てて

そのままそばへ走り行き

「何、疑いのあるべきぞ

さては我が子の判官か」

「御懐かしの父上」と

 

御台所も諸共に

御親子三人、互いに手に手を取り交わし

顔と面を見回して

嬉し涙に、暮れ給い

暫く言葉もなかりしが

合点行かねば兼家卿、涙を払い

「我が子、判官政清は

相模の国の郡代

横山将監照元の乙の姫

照手の姫の色香に迷い

押し入り聟が仇となって

七物毒酒を盛られ

十人殿原諸共に

非業の最期を遂げしとある

今又、熊野詣での行者となって

これへ来たる事

何様(なにさま)もって、心得難し

定めしこれには子細ぞあらん」

仰せに判官、面を上げ

「はっはあ、成る程父上様の御不審なごもっとも

申し上げまするも面目無き我が身の上

仰せの通り、七物毒酒を盛られ

十人殿原諸共

非業の最期、仕って候が

如何なる事にや我一人

餓鬼阿弥となって娑婆帰り

相模の国藤沢寺

遊行上人の指図にて

地車に乗せられ

海道を数多の人に引かれ

紀伊の国、熊野本宮湯の峰へ登り

冥途黄泉より湧き出づる

薬湯の威徳によって

なんなく本復仕り

有り難くも、熊野権現のお告げに任せ

斯く行者姿となって

遙々、尋ね参って候

子細、あらまし斯くの通り

只、この上の御情けは

御門へ参内あそばされ

この由、つぶさに奏聞なし

勘気のお詫び、偏に願い奉ります

父上様」

「さては、左様に候や

一旦、この世を去りし者

再びこの土へ娑婆帰り

親子の対面果たすこと

類い希なる判官政清

只、この上は、参内なし

その由、つぶさに奏聞なし

勘気の御(おん)詫び願わん」と