第21段 清水段

第21段

清水段  

しみずの段  

 

去る程にこれは又

労しや姫君は

流れを立てぬ過怠とて

数の下職を言いつかり

清滝大悲観世音の

誓いによってようようと

下職を勤めてそれよりも

十八町彼方なる

清水の元へ急がんと

荷(にない)を肩に掛けられて

萬屋、家を立ち出でて

清水が元へと急がれる

道は、露やら涙やら

行く先知れぬ谷道を

清水が沢を頼りにと

急がせ給えば、ようようと

清水の元に着きにけり

荷を彼処(かしこ)に降ろされて

柄杓をてに取りて

ざぶと汲んではざわと空け

ざわと汲んではざぶと空け

又も、肩荷を引き寄せて

ざんぶざんぶと汲み上げて

ようよう、一荷に汲み給い

『朸(おうご)を取って担がばや』と思いしに

初手に汲んだるその清水

しばし、澱(おど)めば、影映り

はっとばかりに、飛び下がり

又、立ち寄りて水鏡

「窶れ(やつれ)果てたよ我が姿

実に窶れしも無理ならぬ

夫に遅れて其の後は

彼方此方は、買われつつ

流れ流れに、責められて

湯洗足(ゆせんぞく)だに使わずし

髪に櫛の歯、入れもせず

手足の爪は伸び次第

姿を物に喩えなば

あの奧山に棲まいける

鷲、熊鷹にもさも似たり

これも、誰故、夫(つま)の為

さらさら恨みと思わねど

はあ、それ、

我が夫様に遅れてより

ついに一日しみじみと

御回向とても致さねば

思い出す日を命日

幸い、辺りに人も無し

さあらば、御回向いたさん」と

清水を柄杓(ひさく)に汲み上げて

木の葉、もぎ取り、手向けの水

十(とう)の蓮華を合わせつつ(※十指)

「戒名、何かは知らねども

南無、俗名は我が夫の

小栗の判官政清殿

姫が唱うるこの手向け

如何なる知識、長老の

千部万部の経よりも

厚くも受けさせ給われや

次に手向けのこの水は

十人殿原達への手向けなり

南無阿弥陀佛、南無阿弥陀」

深くも、御回向なし給い

「はあ、それそれ

大悲観音の誓いを以て悠々と

下職、勤め

これにて嘆きに時移り

もしも、戻りの遅うならば

又自らに、『流れを立てよ』は治定なり

さあらば長へ帰らん」と

朸(おうご)を取って肩に掛け

清水が沢を立ち上がり

清水は重し、身は軽ろし

一足歩みて、立ち止まり

又、歩みては休らいて

あなたへよなよな

又、こなたへはよろよろと

休み休みてようようと

萬屋さしてぞ急がれける

 

第22段 買物段 上

第22段

買物段  上  

七色買物段  

 

去る程にこれはまた

さて、萬屋長右衛門

「買い取ったるあの女

あまりに、見目美しき故

流れの道に使わんと

いろいろ申せど

流れを立てぬ

過怠に下職を申しつける

その下職、皆々勤め

清水まで汲に行く

はあ、不思議な女

今、一応、何かな試してみて

流れに取って落とさん」

と、硯引き寄せ長右衛門

墨摺り流し筆を取り

まず七色の買い物を

唐名をもって書き記し

常陸の小萩が帰るさ(の)を

今や遅しと待ち居ける

 

斯くとは知らで照手姫

ようよう、清水を肩に掛け

萬屋指して戻らるる

清水をかしこに降ろされて

御主の前に手をついて

「申し上げます、お主様

仰せに任せ下職を勤め

清水も汲み候えば

暫く、お暇をくださりませ」

長右衛門

「はあ、よくも下職を勤めたな

まだも役目は、この七品

唐名をもって書き記す

市場へ行て、買うてこい

もし、七色が一品にても違うるなら

流れを立てると心得よ

きっと、申しつけたる」

と、言い捨てて、一間に入りにける

後を見送りて、姫君は

「思えば、邪見のお主様

ようよう下職、勤めつつ

やれ嬉しやと思いしに

まだも役目は七色を

唐名をもって書き記し

もし七色が、一色も違いてあらば

自らを、流れに取って落とすとや

思えば思えば悲しや」

と、涙に暮れておわします

 

「何になるらん」と書き付けを開き見て

「東南、西南、うごもり、かごもり

一字、海老(かいろう)

波の上の釣り男(おのこ)

はあ、こりゃこれ

唐名をもって書き記す

 

昔は翠帳紅閨(すいちょうこうけい)の玉の輿に乗る身でも

斯く、世に落ちて浅ましや

我も、世に有るその時は

相模の国に在りし時

乾の御殿の奥にても

局、上﨟を使うにも

唐名をもって使いし身

斯く世に落ちて浅ましや

人に唐名で使われる

思えば思えば浅ましき

身のなる果て」

とばかりにて、

御身を恨み、世を恨み

暫く、涙に暮れけるが

「はあ、それそれ

折角、大悲観音の誓いをもって

ようようと、下職を勤め

今、この七品、求めて参らんものならば

『流れを立てよ』は治定なり

さあらば、市場へ参らん」

と、八目の籠を手にさげて

市場を指してぞ、急がれる

斯くて、市場になりぬれば

彼方で一品、又、此方にて二品よ

三品四品五品に

残る四品、魚屋(いおや)にて求めて

丁度七品と、八目の籠に入れられて

萬屋さしてぞ戻らるる

 

第22段 買物段 下

第22段

買物段  下  

買物の段  若太夫直伝 

 

早や、萬屋になりぬれば

一間に向かい、姫君は

「御主様」と呼ぶ声に

長右衛門、奥より立ち出で

「小萩、今、戻りしか」

「はい、申し上げます、御主様

仰せに任せ、七品、求めて参り候」

と、八つ目の籠を出せば

「これ、小萩

その七色、皆、唐名をもって書き記す

その書き付けと、いちいち読んで

引き合わせ、我が前へ出せ

もし、七色が一色にても違いなば

流れを立てると心得よ

ささ、早や疾く、読んできかせよ」

と、仰せにはっと照手姫

先ず、書き付けを押し開き

「申し上げます、お主様

先ず、『東南』と記(しる)せしは

春の野に出る土筆(つくし)

大和言葉に、土の筆

又、『西南』と召されしは

唐土(とうど)日本の国境(くにざかい)

千倉(ちくら)が沖の浮島へ

初めてこの草生い立てば

唐(とう)では、日本へ渡すまい

日本は、唐土へ渡さじと

互いに争う、それ故に

昔が今に至るまで

これを、競り菜(せりな)と申すなり

さて、『うごもり』とは山の芋

『かごもり』とは、山にて生ずる野老(ところ)の事

『一字』と書いて、一文字は

日本(やまと)言葉に、根深なり

東(あずま)でこれを、葱とかや

又、『海老』(かいろう)と召されしは

海にて年老いたる目出度き魚(いお)

腰も二重(ふたえ)に鬚長く

祝い寿く(ことぶく)初春は

供えの上や、注連飾り

食積台(くいつみだい:三宝のような膳)に飾らるる

蝦(えび)の事にて候なり

『波の上の釣(つ)りょう男(おのこ)』

大和言葉に田作りよ

東(あずま)でこれを、鱓(ごまめ)なり

これにて、丁度、七色なり

さは去りながら、お主様

世界にて、葦と申しまするを

難波にて、葦茅(あしかや)

又、伊勢の国にて浜荻(はまおぎ)と申しますれば

所変われば品変わる

木草の名までも変わります

私の在所では、左様に存じましたなれども

もし、七色のその内が

一色、違い候えとも

哀れ、御主のお情けで

流れの道はお許しなされてくださりませ」

長右衛門、聞いて、肝潰し

「扨も、不思議なこの女

流れを立てぬ過怠の下職

残らず勤め

又、その上に、

唐名をもって書き記すその品々

一色も違わず求めて来たる

余りに不思議な小萩

斯様なる者、邪見に使うものならば

神の咎めもいかばかり

今日よりしては下職もさせぬ

流れの道は、尚の事

なんにもさせることじゃない

八十四人の上郎の世話を頼む十六人の水仕頭(みずしかしら)と定め

目を懸けて使わん

先ず、これへ」

と、長右衛門

情けを掛けて使いしは

後の恵みと知られけり

 

第23段 冥途墓破段 上

第23段

冥途墓破段 上

(めいどはかわれ)  

冥途の段  若太夫直伝 

 

去ればにやこれは又

小栗判官政清は

横山親子が工みなる

毒酒で最期、遂げられて

十人殿原諸共に

死出の山路を遙々と

冥途を指して急がるる

扨又、冥途と申するは

閻魔大王、初めとし

善童子、悪童子、牛頭馬頭とて

牛馬の頭(かしら)なる呵責の鬼金鉄杖(かねてつじょう)を携えて、弓手と馬手に控えける

鉾の上には、見目童子、嗅ぐ鼻童子

その外、数多の鬼共は

虎の秤に、浄玻璃の鏡を

御前へ直し置き

大王、守護する有様は

由々しかりける次第なり

 

娑婆より死し来る亡者をば

見目童子が、役目なり

鉾の上より、飛んで降り

「大王様へ申し上げます

只今、娑婆より死し来る亡者十一人候」と

申し上げれば、大王、聞こし召され

秘文帳(ひぶんちょう)を押し開き

十一人の来たるのを

今や遅しと待ち居たる

掛かる所へ、小栗殿

十人殿原諸共に

修羅の巷を揚々とと六道六筋(ろくどうむすじ)を踏み分けて

冥途を指して来たりける

数多の獄卒、出で向かい

十一人の方々を大王御前へ召し連れる

斯くて、御前になりぬれば、差し俯いておわせしが

大王、ご覧じて、

先ず、十一人の姓名を秘文の帳に記し

「如何にとよ。牛頭馬頭。

彼らは娑婆にて罪ある者か、無き者か

浄玻璃に映してよからん」

{はっ」と答えて、牛頭馬頭が仕役(しやく)

十一人の人々を

彼の浄玻璃に映しける

その時、十人殿原は、

もとより忠義のその為に

非業の最期を遂げければ

何の子細もなかりしが

中にも、判官政清は

総身に鱗現われて

頭には、二本の角の生い立ち

蛇体の姿と映りける

大王、笏を振り上げて、はったと怒り

「あれ、見られよ、牛頭馬頭

十人殿原は主へ忠義のその為に

非業の最期遂げぬれば

何の子細もあらざるが

中にも判官政清は

凡夫の身を持ちながら

御菩薩池の大蛇と契りを籠めたる咎(とが)によって

総身に、鱗現われ、頭には二本の角の生い立ち、蛇体の姿と、映る

にっくき判官政清

早や疾く、小栗を

蛇道の地獄へ送り

苦痛をさせてしかるべし

まった、十人殿原は

極楽浄土へ送らん

早や疾く、小栗を

蛇道の地獄に追い落とせ」

と、仰せに、十人殿原は

皆、一同に手をついて、大王様へ

「我々が、何卒ひとつの御(おん)頼み

 

   我々十人殿原は

   娑婆へ戻りて詮も無し

 

《※ 文意齟齬:

閻魔は極楽へと言っているのに、娑婆へと取り違えている:この一文は余計である

 

あるいは:

 

   我々十人殿原は

   極楽浄土の望みなし

 

とするべき》

 

我が君様と申するは

娑婆には敵も候えば

何卒、我々十人をを

蛇道の地獄へ送りつつ

我が君様を御一人

娑婆へ戻させ給われ」

と皆一同に、願いける

大王、聞こし召され

「死して、冥土へ来たるまで

主へ忠義を忘れぬ十人の殿原達

心底、感ずるに余り有り

罪業深き小栗判官政清

蛇道の地獄へ送り

苦痛をさすべきものなれど

殿原達の忠義に免じ

主従十一人ながら

一度(ひとたび)、娑婆へ戻して得させん

見目童子、彼らが亡骸は

何処(いづく)へ野辺の送りいたせしや

見届けて参れ」

「はは、畏まって候」

と一万方(いちまんほう)の鉾先に駆け付け上がると見えけるが

大千世界を、たった一目に見渡しける

鉾の先より跳んでおり

「はあ、大王様へ申し上げます

十一人の亡骸は

上野(うわの)が原へ野辺の送りを仕って候が

如何なることにや

小栗一人(いちにん)土葬にて

十人の殿原は、残らず、皆、火葬に候」

と、申し上ぐれば、大王聞こし召され「その義にあらば、思いながらも、是非に及ばぬ

殿原達の忠義に免じ

小栗一人(いちにん)娑婆へ戻してくれん

まった、十人の殿原達は

直ぐにこれより、極楽浄土へ送らん

何はともあれ、小栗を娑婆へ戻して得させん」

と、大王、なにやら、一通を認め

玉座を立って、小栗のそば近く立ち寄り給い

彼の書き付けを弓手の手にしっかと握らせ

笏振り上げて、大王

「善哉、善哉

娑婆帰りの亡者

人間に生(しょう)、返すものなる」

と、はっしと打てば

小栗の亡者、掻き消す如くに失せにける

 

第23段 冥途墓破段 下

第23段

冥途墓破段 下

(めいどはかわれ)  

墓割の段  若太夫直伝 

 

去ればにやこれは又

相模の国に隠れ無き

藤沢山清浄光寺(とうたくさんせいじょうこうじ)の片辺(かたほとり)

上野(うわの)が原へ葬りし

十一人の墓原は

頻りに、鳴動なしけるが

小栗の塚は大地(たいじ)よりも覆り(くつがえり)

彼の判官の亡骸は

餓鬼阿弥とこそ、現われて

ただ、呆然として居たりける

餌食み(えぼみ)乏しき山烏

彼の餓鬼阿弥を服(ぶく)さんと

上野が原へ集まれど

閻王よりも送られし御書き付けの威徳にて

近寄ることの叶わねば

数万の烏、只、鳴き渡りていたりしが

掛かる折から、此処に又

藤沢寺の上人は、南面(みなみおもて)に出で給い

「はて、合点の行かぬ

上野の方にて夥しき烏の鳴き声

それそれ、今日は

過ぎ行かれし小栗主従十一人の人々の

四十九日の逮夜(たいや)に相当たる

さあらば、上野ヶ原へ行て

せめては一遍の回向をなして

参らせん」

と、御弟子を僅か召し連れて

清浄光寺を立ち出でて

上野ヶ原へと急がるる

程無く、上野ヶ原になりぬれば

御共なしたる御弟子達

彼の餓鬼阿弥を見るよりも

「はっ」とばかりに驚いて

「そりゃこそ、小栗が化けて出た

やれ、恐ろしや、悲しや」

と、上人様を捨て置いて

我も我もと、小法師は

御寺を指してぞ逃げて行く

後にも残る上人は、つくづくこれをご覧じて

「さては、判官政清殿

非業の最期を遂げ

修羅の巷に踏み迷い

浮かむこと叶わずして

迷い出でしと覚えたり

さてさて、労しきことなり

いで、上人、浮かませ参らせん」

と、そば近く立ち寄り給えば

小栗の餓鬼阿弥、弓手の腕(かいな)を差し出だす

なんやら一通の書き付けを握り居る

「何なるらん」と

上人、御手(みて)を添えて取り上げ

押し開き見給えば

「なになに、ひとつこの小栗判官政清

餓鬼阿弥となし

娑婆へ返すものなり

なにとぞ、紀伊の国、熊野本宮宇湯の峰へ送るものならば

冥途黄泉より薬湯を湧き出だし

四十九日がそのうちには

元の小栗と本復いたす事、疑いなし

偏に頼み存ずる

相模の国、藤沢山清浄光寺

遊行上人へ

冥途黄泉、大王、判」

と、読み終えられて上人は

「はっ」とばかりに驚いて

「拙僧如きを、冥途まで、知れつることの有り難や」

と、御書き付けを、押し戴き

有り難涙に暮れ給い

「何はともあれ

我が一存にては、叶うまじ

一先ず、御寺に戻り

その後、この餓鬼阿弥を

熊野山へ送らん」と

そのまま御寺に戻られて

数多の下部(しもべ)を召されつつ

「あれ、只今

上野が原へ、餓鬼阿弥の現われて候

その方達は、乗り物一丁用意なし

あの餓鬼阿弥を連れ来たれ

必ず、驚くことなかれ

誰それも、参るべし」

と、仰せに数多の下部達

小法師達も諸共に

乗り物一丁、懸(か)かせられ

藤沢御寺(みてら)を立ち出でて

上野が原へ急がるる

斯くて、彼処(かしこ)になりぬれば

怖々ながら、餓鬼阿弥を

揚々、駕籠に乗せられて

御寺を指して、連れ来たる

なんなく御寺になりぬれば

上人、御喜悦限り無く

先ず、地車を作る事を申し付けければ

番匠達が集まりて

暫時に、地車、出来(しゅったい)す

彼の餓鬼阿弥が乗せられて

上人、ひとつの木札を拵い(え)

筆を取り

「ひとつ、この小栗の餓鬼阿弥」

と、書き記さんとなされしが

「いいや、待て暫し

『小栗の餓鬼阿弥』と書き記し

もしも横山殿(でん)に聞こえなば

再び、害せんことの定(じょう)」と思し召され只、

「一、この餓鬼阿弥、紀伊の国熊野の本宮湯の峰へ送るものなり

ひと引き千僧供養

ひた引き万僧供養

三引四引も引く者は

久離兄弟菩提の為

相模の国、藤沢山清浄光寺」

と、書き記し

餓鬼阿弥の襟に懸けさせ

小法師達を召され

「そち達は、大義ながら

今よりこの餓鬼阿弥を

紀伊の国、熊野本宮湯の峰まで送るべし

もしも道にて

車の轍(わだち)、留まる事のあらんも知れぬ

その所には、必ず、

餓鬼阿弥の良っき施主のあるほどに

そのまま捨て置き、戻るべし

早や疾く、急いでよからん」

と、申し渡せば、御弟子達

師の坊の仰せ重ければ

「畏まって候」

と、御前をさがり(※さがり行く)

 

 

第24段 小法師車段 上

第24段

小法師車段 上

こぼうしくるまの段 

若太夫直伝 

 

去る程にこれは又

小法師達は、取り取りに

旅の支度をなしにける

布目脚絆の紐締めて

手巾(しゅきん)締めて脛(はぎ)高く

四つ乳(ぢ)の草鞋(わらんず)はきならし

衣の袖を玉襷(たまだすき)

彼の餓鬼阿弥の地車へ

女綱男綱(めづなおづな)を付けられて

清浄光寺の境内を

「えいさらえい」

と、引き降ろし

向こう遥かに見てあれば

 

《これより道行き》

 

花紫の藤沢や

始めて、車田、引地の町とはこれなるや

(車田は藤沢市藤沢二丁目4-7、車田白旗稲荷付近)

(※遊行寺の西方約2キロの所に引地川が流れる)

七つ小女郎の手毬唄

ひいふうみつと数えては

四谷の立場(たてば)早や過ぎて

(※ 藤沢市城南2丁目:辻堂の北)

(※立場:街道の休憩所)

日はまだよほど高砂(※茅ヶ崎市)の

六本松原これとかや

(※六本松の刑場跡:茅ヶ崎市室田)

出家の身として大胆な

南湖(※茅ヶ崎市)なますでけづりかけ

(削り掛け:茅花つばなの形に垂らした祭具・・・茅ヶ崎の茅にかけるカ?)

馬入の渡し打ち渡り(※相模川)

(※平塚市馬入:馬入橋)

御代も目出度き平塚や

小法師達が、流行り風邪でも引いたのか

くしゃみと共に、花水橋を打ち渡り(※花水川の花水橋:現存)

高麗寺(こうらいじ)村、これとかや(※高麗山(こまやま)又は高麗寺山(こうらいじやま)付近、高麗寺は、廃仏毀釈で廃寺)

大磯が宿になりぬれば

虎、少将が化粧坂(大磯町高麗付近)

鴫(しぎ)立沢を伏し拝み

(※大磯町西部の渓流:西行の歌:心なき身にもあはれはしられけりしぎたつ沢の秋の夕暮)

「えいさらえい」と引くほどに

春は早や咲く、梅沢の酒匂(さかわ)になれば

(※梅沢:二宮町山西:梅沢海岸)

(※酒匂:酒匂川・小田原市)

餓鬼阿弥をおててん手車に乗せられて(※二人が向かい合って両腕を組み合わせ、その上に人を乗せて運ぶこと)

向こうに渡されば、どこならん

一二争う さんばら(※ばらばらの)

小法師達の相談も、早や小田原の宿とかや(※小田原評定)

欄干橋(※一般名詞)を打ち渡り、

何、はいりうた(入生田:いりゅうだ:小田原市)

風祭(かざまつり:小田原市)

浦島太郎の玉手箱

開けて箱根に差し掛かる

(※酒匂川付近に浦島伝説あり)湯本の地蔵を伏し拝み

(※湯本駅裏の白石地蔵尊:箱根町湯本779 )

数多小女郎衆が集まって

筬(おさ)をと押すが、畑の茶屋(箱根町畑宿)

 

(※筬:織機の部品の一つ。経 (たて) 糸の位置を整え,打込んだ緯 (よこ) 糸を押して,さらに密に定位置に打働きをするもの。)

(※ここでは、オサ、とのかけ声)(※機と畑を掛ける)

 

二子山(上二子山1099m)から吹く嵐

雨かと思えば杉の露 

満々たりし湖の賽の河原の地蔵尊

(※元箱根石仏群:六道地蔵)

(八百比丘尼の墓あり)

天下の御関所、相違なく

越えて登れば、今は早や

伊豆と相模の国境

野中の杉はこれなりし

早や、山中(※三島市山中)に着きければ

旅の疲れを小法師も

しばしがうちの仮枕

夢をみ(三)島の里に降り

明神様(※三島大社)を伏し拝み「えいさらえい」と引くほどに

千貫樋(せんがんとい)はこれなるや  (※三島市と清水市の境にある用水:関東大震災で崩落するまで木造:1555年以来)

 

                                        

第24段 小法師車段 下

第24段

小法師車段 下

こぼうしくるまの段 

若太夫直伝 

 

《道行き つづく》

 

さても不思議や餓鬼阿弥は

藤沢御寺(みてら)を立ち出でて

沼津(※のまず)食わずで来たれども

原、吉原はこれなるや

(※沼津市原 )(※ 富士市吉原)弓手に高きは、三国一の富士の山

あの(※富士山の)御手洗(みたらし)で造り込んだる白酒は

これぞ、根本(こんぽん)元市場

(もといちば)

 

※吉原宿と蒲原宿の間宿(あいのしゅく)・本市場(もといちば)

※ 「富士の白酒」が名物

※歌川広重(天保12年(1841年))「東海道五十三次之内吉原」(江崎屋版) 本市場の茶屋に「名物山川志ろ酒」と書かれた看板あり

 

流れ忙(せわ)しき富士川や

今日、危ないが岩渕(※富士市)の

小法師達も蒲原(※清水市清水区)へ

一杯機嫌で引く程に

栄螺(さざえ)の殻につまづいてぶつくさ小言を由井の宿(※清水市清水区)

薩埵峠(さったとうげ)を引き上げて

興津(※清水区)遥かに見下ろせば

三保の松原、清見寺

(※臨済宗妙心寺派巨鼇山清見興国禅寺 )

床の石突(いしづき)(?)

江尻に稚児橋、巴川(※清水区)

(※カッパの伝説あり)

狐ヶ崎(※清水区上原)に化かされて

府中(※駿府:静岡市葵区)、夢中で引く車

蹴上げて通る丸子宿(まりこじゅく)

あの山奥で、雉(きじ)がほろろを宇津の山辺(※射つ)(※宇津ノ谷峠)

蔦の細道「えいさらえい」と引くほどに

一夜、泊めぬか岡部宿(※藤枝市 岡部町)

松にしがらむ藤枝の

島田娘の心根は(※島田市)

一夜に変わる大井川

越えて、何処と、遠江(とおとうみ)

金谷(※島田市)の宿はこれなりし

「えいさらえい」と引く程に

あの山寺で突く鐘を、耳に菊川(※聞く)(※島田市)早やすぎて

既に、その日も、日坂の(※掛川市)神に祈りを、掛川や

(※秋葉山を想定か?火伏)

宝を積むか袋井の(※袋井市)

見事な花を見附の宿(※磐田市)

あら恐ろしの天竜を(※天竜川)

ようよう越えて、今は早や

浜松風に誘われて(※浜松市)

沖へ千鳥が舞阪の(※浜名湖:浜松市西区舞阪町))

渡しを越えて程も無く

新居(※湖西市新居町)の宿とはこれとかや

君が心は白須賀の(※知らず)

(※湖西市白須賀:しらすか)

早や、二川の宿を過ぎ(※愛知県豊橋市二川町(ふたかわ))

向こう遥かに三河路や

吉田通れば二階から(※吉田城:豊橋市今橋町)

しかも鹿の子の振り袖が

「こちへこちへ」と御油の宿

(※豊川市御油町)

呼ばれて、その時、小法師も

顔、赤坂の宿、越えて

(※豊川市赤坂町)

川はなけれど藤川や

(※岡崎市藤川町)

三味線取って、岡崎の

矢矧の大橋、これなりし(※矢作川)

しっとん、とどろと、引き降ろし

さまで嵐はなけれども

梢、木の間(このま)に咲く花も

池鯉鮒(知立)の宿を打ち過ぎて

(※ちりゅう:散る)

程無く、鳴海の宿を越え

(※愛知県名古屋市緑区)

かほど涼しき御社(おんやしろ)

熱田の宮とはこれなるや

尾張名古屋の城の下

「えいさらえい」と引く程に

清洲、(※淸須市)すいじう玉の宿(?)

 秋は野に咲く萩原野

(※一宮市萩原)

越えて急げばようようと

中山道は美濃国

垂井の宿になりぬるが

 

第25段 暇貰段 上

第25段

暇貰段 上

いとまもらいの段 

 

去る程に、これは又

さても小栗の餓鬼阿弥は

小法師達が集まって

「えいさらえい」と引く車

中山道は美濃国

垂井の宿に隠れ無き

萬屋長が門前に

車の轍がめり込んで

押せども引けども動かねば

小法師達は集まって

「はて、合点の行かぬ

只今までクルクル回るこの車

ここへ来て、この様に動かぬは

まあ、不思議な事

どりゃ、おららが後から

梃子(てこ)かわん

精出して引かしゃれ」

と、皆一同にそばにより

「えんやうん」

と、言う儘に

押せども引けども

いっかな、いっかな、動かざる

「おお、それそれ

藤沢御寺を出る時

上人の仰せには

『この車の留まる所に

良き施主ありと覚えたり

捨て置いて帰れ』

との御言葉(おんことば)

なんでもこの宿内に

良き車の施主あると覚えたり

夜明けぬ内に捨て置いて、帰らん」

と、皆打ち連れて、小法師は

藤沢指してぞ急がれる

 

後にも残る餓鬼阿弥は

頼りの法師に捨てられて

只、呆然としていたりしが

既に夜明けてありければ

皆、宿内(しゅくない)の人々は

萬屋、門に集まりて

「さては不思議な餓鬼阿弥」と

我も我もと老若の

萬屋門前、人の山

扨もその時照手姫

妹背の縁に引かされて

思わず知らず、

門前に立ち出で給い見てあれば

数多の人を押し分けて

車の下(もと)に近く寄り

「なんじゃ

『ひとつこの餓鬼阿弥

熊野本宮、湯の峰へ送るものなりひと引き引けば、千僧供養

ふた引き引けば、万僧供養』」

と、見送り給いて

「さては、冥途に餓鬼阿弥のあるとは聞けども

目に見る事は今が初め

はあ、さまでの功徳のこの車

この身が儘(まま)になるならば

『ひと引きなりとも、引きたや』と思えど、この身は儘ならぬ

おお、それそれ

『我が夫の菩提の為』と御主に暇(いとま)を願うとも

よもや暇は下さるまい

勿体無くは候えども

未だ堅固にましまする

父母菩提と偽りて

お主に暇、願わん」

と、その身は、家(うち)に立ち帰り

一間に入りて、御主の御前(みまえ)に手をつかえ

「申し上げます、お主様

只今、此方の門前に

何処よりか、餓鬼阿弥車の参りしが

胸に掛けたる木札には

『ひと引き引けば千僧供養

ふた引き引けば万僧供養』

左迄の功徳の餓鬼阿弥

私は、父に遅れまして十三回忌

母に遅れて七回忌

父母菩提のその為に

車を引きとう存じます

何卒三日の暇を下さりませ

お主様」

とありければ

長右衛門、聞くよりも

「ふふ、何と言う

門前に(餓鬼阿弥車が着いたるか)

 

第25段 暇貰段  下

第25段

暇貰段 下

いとまもらいの段 

 

(「ふふ、何と言う

門前に)

 

餓鬼阿弥車が着いたるか

父母(ちちはは)菩提のその為に

車の施主に付きたい?

これ小萩、

流れを立てて引くならば

三日はさておき

いつか(五日?幾日?)にても暇をつかわす

流れを立てて引くか、小萩

返答、なんと」

と、ありければ

姫君、それと聞くよりも

「愚かなりけるお主様

流れを立てて引くならば

引くも引かぬも同じ事

さは去りながら、

お主様妹背の身の上に

自然大事のある時は

私が御身代わりに立ちまする

何卒、三日の暇を下さりませ」

長右衛門聞いて

「何と言う

さすれば、我々が身の上に

もしも大事のある時は

身代わりに立とう?

これ、命に掛けても車がひきたい?か

聞き届けてつかわす

如何にも三日の暇をやる

三日が欠けて、戻るなら

流れを立てると心得よ

常陸の小萩、きっと申しつけたる」

と、はったと怒って、長右衛門

一間を指してぞ、入りにける

後に残りて姫君は

「やれ、嬉しや」と喜んで

既に出でんとなされしが

一間の方より、女房は

「やれ、待て、小萩」

と、立ち出づる

「これ、只今、一間にて聞きつるが

さまでの功徳のその車

自らも、ひと引きなりとも引きたやと思えども

まさか、手を下ろして、引かれもせず

自ら引く代わりに

我が夫、三日の暇(ひま)つかわさば

自らが二日の暇(ひま)をやる

上下五日の暇(ひま)

三日で引いて、二日で、これまで帰るなら

その身も楽にあらん

早や疾く、施主に立ちやいのう

さは去りながら、これ小萩

その身そのまま引くならば

宿や町屋の人々が

『あれ見よ、常陸の小萩こそ

若い身空で、餓鬼阿弥の

車の施主に付いたよ』と

浮き名の立つは治定なり

これを、その身に纏いつつ

心に物は狂わねど

狂女の姿で引くべし」

と、古き烏帽子に狩衣を

常陸の小萩に下さるる

姫は、はっと手をついて

「こは、有り難き仕合わせ

さあらば、用意をなさばや」と

狩衣取りて、肩に掛け

裾を結んで、肩に掛け

肩を結んで、裾に下げ

烏帽子を被り(かむり)

胸に真紅の結び下げ

顔を油煙で染められて

笹の小枝に四手(しで)切りかけて

降り担(かた)げ

門前指して出で給う