日本庶民生活史料集成第17巻                     新潟県上越市(高田)市川信次所蔵                   薩摩若太夫正本写本                                                                           参照:阿賀北瞽女と瞽女唄集  新発田市教育委員会


説経祭文 信徳丸一代記 一段目

河内の国にも隠れ無き
あしう山(不明)の東なる
おたぎ(小田木?)の里と申するは

信吉長者と申せしは
高麗(こま)唐土(もろこし)の果てまでも
大満長者と呼ばれたる
鄕士(ごうし)一人、おわしける信吉長者の御総領に
信徳丸と申するは
{馳せ観音の申し子で
知恵も器量も、人に増す
因果は我が身の生まれ付き
ご運の甲斐無い生まれにて}
運の甲斐ぬは限り無く(?)
七つと申す明けの春
母上様に遅れたる

誠の母の無き後は
継母の手にて育てられ
年月送るその内に
継母も懐胎なされたり
月日重なり、程も無く
玉の様なる男子(なんし)をば
易々、誕生なされける
夫婦の喜び限り無く
五郎丸とぞ名を得させ
蝶よ花よと育てしが
誠に、光陰矢の如く
月日の経つは、速いもの
月日に、関はあらずして
信徳丸は十五歳
五郎丸も、早や、五歳
長者の喜び、限り無く
大阪にても名も高き
亀山長者の息女なる
{おとらの姫と申するは
その御年は、十四(し)歳
姿をものに例えなば
春の花なら、初桜
夏の花なら、菖蒲かえ
秋の月なら十五夜の
咲いに咲いたる、御風情
辺りに輝く、如くなる
十波羅十(じっぱらとう)の指までも
瑠璃を延べたる如くなる}

「おとら」の姫を貰い受け
信徳丸に娶せて(めあわせて)
家督の取り決め、いたさんと
一家一門、召されては
ご相談をぞ、なされける
継母は、この由、聞くよりも
女心の一筋に
{ちぇ、口惜しや}
「我も、女に生まれ来て
信吉長者の夫(つま)となり
{人に優れし、子を持ちて
継子にかかるが、残念や}
我が子に家督を継がせたや
どうしたならば、我が子には
家、相続を、させらりょう」と
子故に迷う、親心
良い、分別(ふんべつ)は出もせずに
浅ましや、女心から
工み(たくみ)出だせし悪戯にも(徒にも)
もしも、継子の信徳が
少し風邪でもひいたなら
薬となぞらえ、毒を盛り
殺してくれんと思えども
それ、世の中の例えにも
憎む子は、世に憚り(はばかり)の道理にて
{神や仏の恵みでか
少しの風邪もひかずして}
無病息災、成人す
信吉長者は、この時に
「いよいよ、来月、半ば頃
おとらの姫を迎えん」と
結納までも送らるる

継母は、この由、聞くよりも
「是非に及ばぬ、この上は
神の勢力(せいりき)借り受けて今宵、一夜が、その内に
祈り殺してくれん」ぞと

{以下:長岡の鍛冶屋段}

それより、後妻のおつじ殿(お玉殿)
そっと我が家を忍び出で
出入りの鍛冶屋へ急がるる
出入りの鍛冶屋になりぬれば
御免なされと、ずっと出で
「善兵衛殿は、家にかえ」
言われて今は、鍛冶屋殿
表の方へ走り出で
遥かこなたに手をついて
「これはこれは、上様(うえさま)へ
供も連れずに、只一人
ようこそお出ででございます
如何なるご用にて、ありつる」と
問われて後妻の申すには
「これ、のう如何に、鍛冶屋殿
今宵、自ら、参りしが
深い頼みが、有るぞえの
聞いて下さい、鍛冶屋殿
八寸釘の笠無釘
南無阿弥陀仏を取り(彫り)つけて
打って下さい、百本を
鍛冶屋は、それを、聞くよりも
「これはこれは、上様へ
笠無釘と申するは
人を呪いの釘なるが
呪いの釘を、打つならば
天は三十三天や

地は七尺四方(しちしゃくよほう)が、その間
金輪奈落の底までも
皆、穢(けが)るいになりまする
皆、穢るいになりますれば
第一、商売替えを致さにゃならぬ
商売替えを致すには
大金、御無心、申さにゃならぬ
外の儀なれば、何なりと
この儀は、御免遊ばせと
言われて、後妻のお辻殿(お玉)
「金談ずくで、出来るならこれより

我が家まで八町がその丁場(870m)
金を敷けるなら、敷きもしましょう
山に積めるなら、積みもしましょが
予て(かねて)そなたも
知っての通り
あの若君の、信徳に
最早、来月、半ばにて
嫁を迎える、沙汰なるが
嫁を迎える沙汰なれば
可愛や我が子の五郎丸
他人の聟と定まるが
それが悲しさ、このように
頼む頼むとありければ
鍛冶屋は、それを、聞くよりも
「若君様のことなるか
若君様のことなれば
尚々、ご辞退、致します」
後妻は、それを、聞くよりも
「これのう、申し、鍛冶屋殿
たって辞退に、及ぶのか
辞退に及ぶ事なれば
それに先だって
地金仕入れのその時に
夫に隠して、五十両
取り替え(※立て替え)あるが
鍛冶屋殿
今宵、嫌と言うならば
利息、共に、取りそろえ
さっそく、返済、致せよな
今宵の願いが、叶うなら
直ぐに、帳面、消すべし」と
鍛冶屋は、それと聞くよりも
「これは、どうしょう、なんとしょう」
娘、お菊は、聞くよりも
奥の一間へ、招かれて
「申し上げます、とと様へ
これより二三日がその間
日延べの段を、お願いなされませ
両親爲と、なるならば
わしが、身は、傾城川竹と売り広め

 兄さん、年季奉公をなさりませ」
鍛冶屋は、それを、聞くよりも
「親に孝行の子供か」と
喜び勇んで、鍛冶屋殿
居たる所を立ち上がり
表の方へ走り出で
ご新造(ごしんぞ)様の前に出で
「これより、二三日が、その間
日延べの段を、お願い申します
元金(もときん)返済、致します
後妻は、それを、聞くよりも
「これのう、如何に、鍛冶屋殿
二三日、どころか、今宵、一夜のその内に
利息ともに、取りそろえ
さっそく、返済、致せよな」
鍛冶屋は、それを、聞くよりも
「さても、さても、情けなや
四百四病の病より
貧ほど辛き、病無し

常々、お寺の和尚さんの仰せには
『人を呪いのその釘を
必ず打つな』とありければ
打てば、和尚へ、義理立たぬ
打たねば、主(しゅう)へも義理立たぬ
如何、致して、よかろうや
将棋の駒では、なけれども
王と飛車に攻められて
外に王手は、無いかい」と
胸に鏡に手を組んで
しばらく、思案を致さるる
「思い付いたよ、我が心
この釘、打ったる、ことなれば
大金を賜わりて
五十両の金子をば
若君様のそのために
菩提、お寺へ差し上げて
若君様のその爲と
残る金子(きんす)と申するは
倅(せがれ)、善八に、任せ置き
我々夫婦の者どもは
坂東皮籠(ばんどうかわご)背なに背負い
四国西国、廻らん」と
そうじゃとばかりに、鍛冶屋殿
俄に、火床を立てられて
ちんからりんと、打たれける
ようよう、釘も出来上がり
かみに包んで、持って出で

{土田:参照
  身に詰められて、善兵衛は
  畏まって、候や
  夜は夜中の、八つ時分
  木萱(きかや)も眠りし丑の時
  水の流れも止まりしに
  家内の者の、人払い
  俄に火床を立てられて  
  番号打つやら、鞴(ふいご)吹く
  用意の鉄釘、取り出だし
  かあしかあしと打たれける
  一本打っては、南無阿弥陀仏
  二本打っては、南無阿弥陀仏
  三本四本と、打ち揃え
  ようよう、鉄釘、取り出だし
  紙に封じて、今は早
  後妻の前に立ち出でて}

「これは、これは、上様へ
誂い(あつらえ)の品も出来ました」
後妻は、それを、聞くよりも
「それは、大義で、御座ろうが
地代店代(家賃等)、要らんぞえ
貸した金は、消してやる
金子は、如何程、差し上げよ」
鍛冶屋は、それを、聞くよりも
大金なれども、上様へ
二百両、頂戴いたします」
後妻は、それを、聞くよりも
「それで、良いかい、鍛冶屋殿」
予て、用意の懐中より
二百両、金子を、取り出だし
善兵衛が前に、さらと突き
金と釘とを取り替えて
喜び勇んで、後妻殿
鉄釘、百本、懐中し
我が家を指して帰らるる
斯くて、我が家になりぬれば
その日の暮れるを待ちにける
程無く、その日も、暮れければ
時刻も良しと言いながら
我が子、五郎と添い寝して
「これのう、如何に、五郎丸
母は用事に行く程に
ひと(ふと)目覚ましてあるとても
母よ母よと、呼ばわるな
騙し賺して(すかして)寝せ置いて
夫の寝息を窺うて
さらば、支度、と言うままに
白装束を身に纏い}

《釘打ち段 終わり》

女心の恐ろしや
その夜、夜半の頃なるが
家内の者の目を忍び
髪を洗うて、身を清め
白(しら)装束を身にまとい
背丈に余る黒髪を
四方へ、さっと、降り散らし
髪に四つ手の枠を建て
百目蝋燭、四丁立て

信徳丸の絵姿を
さも、在り在りと描かれては
鉄釘、百本、懐中し
口に髪剃り、咥えられ(くわえ)
手には、金鎚(かなづち)引っ提げて
我が住む一間を立ち出でて
先ず、広庭にになりぬれば
表門にと、思えども
もし、門番の者共が出でばやと
裏門指して、忍び出で
ほっと一息、槻(つき)の木戸

槻の木の用語解説 - ケヤキの古名。

継母は、暫く、立ち止まり
「これまでは、忍び出でたれど
誰、見咎めし、者も無し
我が大願、成就、疑い無し
さらば、春日に急がん」と
掛かる所を、足早に
黒森(?不明)指して急がるる
程無く、春日になりぬれば

 一の鳥居も、早や過ぎて
五十五段の階(きざはし)を
上り(のぼり)詰めれば、
ここに又
うがいの石(せき:堰:関)に立ち寄りて
うがい手水(ちょうず)に身を清め
知らせの鰐口、打ち鳴らし
しずしず、宮に、上がられて
只、一心に手を合わせ
「南無や春日の大神社
今宵、自ら、参りしは
お願い申す筋あって
この丑三つも厭わずに
これまで参詣仕る」

(※説経では高安:大阪府八尾市:高安山(487.4m))

{ }は脱落部分を瞽女唄で補う。

三十三天

とうりてん【忉利天】

六欲天の下から二番目の天。帝釈天がその中心に住み,周囲の四つの峰にそれぞれ八天がいる。三十三天。

《川竹の流れの身から》遊女。遊女
の身の上。

しひゃくし‐びょう〔‐ビヤウ〕【四百四病】 
 仏語。人間がかかる一切の病気。人間のからだは地・水・火・風の四大?(しだい)?が調和してできており、その調和が破れると、四大のそれぞれに百一病が起こり、合わせて四百四病と数えるもの。

百目蝋燭 - 1本で100匁(もんめ)(約375グラム)ほども ある大きな蝋燭


説経祭文 信徳丸一代記 二段目  祈りの段

「願いの筋は別ならず
信吉長者の総領の
信徳丸が一命を
今宵一夜に取り給え
命、強うて、とられずば
人交わりの出来ぬ様
癩病病みにして給え
二つに一つのこの願が
もしも、叶わぬその時は
前なる池に身を投げて
二十尋(はたひろ)余りの悪蛇となり

{四十二枚の歯をそろえ
十二の角を振立てて}

信吉親子を取り殺し
我が子に家督を継がせては
この大門にのた回りて
社(やしろ)参りの人を獲り(とり)
宮を腐らす、春日様
あと、草叢にいたします
大願成就、致すなら
お礼参りのその時は
一千の鳥居に金の額をば
納めましょ
五十五段の階を
南蛮鉄で工み(たくみ)ましょ
五色の旗を五千本
皆、縮緬であげましょう
宮の屋根は銅(あかがね)瓦で葺きましょう
太々神楽を打ちましょ

神はこの世の飾りかえ
誠に新たな神ならば
例え無理でも一度(ひとたび)は
叶わせ給え
南無や春日の明神」と
深くも心願、籠められて
かかる拝殿、罷り立ち
急ぎ、裏へ回られて
七回回る楠の
ご神木の下(もと)に寄り
信徳丸が絵姿を
真っ逆さまに貼り付けて
用意の鉄釘、取り出だし
左の足のくるみ(くるぶし)にあて
「おのれ、にっくき信徳丸
継母の牙のこの釘を
思い知れや」
と、言うままに
金鎚おっとり、かっしかっしと
打ち音が金輪、奈落の底までも
諸事、響いて、もの凄や
頭の頂上まで、十四経(けい)
あばら三枚、残り無く

にくのふど(?肉、喉?)、打たれて(い)
{手足の節々、打たれける}
五臓六腑に立つ釘を
並べて、打ったる有様は
身の毛もよだつばかりなり

女の一念、恐ろしや
血走る眼(まなこ)に血をそそぎ
髪の毛逆立ち
獅子が荒れたる勢いにて
念願籠めて打つ釘は
継子の肝(きも)に通じてか
打ったる釘の元よりも
血潮が、さっと走りける
継母は、これを見るよりも
「朧月夜にこのように
血潮の立つまで分かりしは
さてこそ、神の御勢力(せいりき)
大願成就」
と喜んで
女心の浅ましや
少し、心が緩みしか
止め(とどめ)の一本打たぬ故
情け無いかな、信徳丸
その夜、一夜がその内に
癩病病みとなり崩れ
目も当てられぬ風情なり
継母は、其の場を罷り立ち
又、拝殿に上がられて
尚も明神、伏し拝み
掛かる拝殿、立ち上がり
下向の鰐口、打ち鳴らし
掛かる社を、足早に
我が家を指して、急がるる
程無く我が家になりぬれば
先ず、裏門に立ち止まり
蝋燭、残らず消されては
我が住む一間に忍びいり
常の衣服に着替えられ
我が子の五郎に添い寝して
素知らぬ体にて居られける
次第に、その夜も更け渡りたり
早や、寺々の明けの鐘
東雲烏(しののめからす)が西東(にしひがし)
北より南と告げ渡る
お台所は、下女、端(はした)
皆、起き上がる朝御前
御上(おかみ)もお目覚めで
信吉長者も起きなりて
朝の手水で、身を清め
その日の神を拝まるる
継母も程無くお目覚めて
朝の手水で、身を清め
髪取り上げて、それよりも
夫(おっと)に素顔を見せまいと
顔に白粉(おしろい)薄化粧
衣服を改めそれよりも
我が子五郎が手をとりて
我が住む一間を立ち出でて
夫(おっと)の前へと出でらるる

だいだい かぐら [5] 【太▽ 太▽ 《神楽》】
伊勢の奉納神楽で奉賽の多寡によって定められた神楽の等級を表す名称。のち,奉納神楽の美称となった。

こん りん  【金輪】
三輪・四輪の一。地下にあって大地を支える大輪。

こん りんざい  【金輪際】

 大地の下百六十万由旬の深さにある金輪① の底。世界の果て

 

経絡は14経あり、二つずつペアーになっている。
 臓腑    正式名称     略称
 肺     手の太陰肺経   肺経    
 大腸    手の陽明大腸経  大腸経   
 脾     足の太陰脾経   脾経    
 胃     足の陽明胃経   胃経    
 心臓    手の少陰心経   心経    
 小腸    手の太陽小腸経  小腸経   
 腎臓    足の少陰腎経   腎経    
 膀胱    足の太陽膀胱経  膀胱経   
 心臓(心包) 手の厥陰心包経  心包経   
 三焦経   手の少陽三焦経  三焦経      
 肝臓    足の厥陰肝経   肝経
 胆嚢    足の少陽胆経   胆経
 督脈    督脈       督脈    
 任脈    任脈       任

 

 『あばら三枚』 左上から三本目のあばら骨、 その真下が心臓の位置だそうだ。


説経祭文 信徳丸一代記 三段目 継母工みの段

扨もその時、継母殿
夫の前に手を突いて
朝の一義(礼)を述べらるる
腰元どもは、この時に
急ぎて、せんぶん(?膳部)の用意をし
程無く、御上も朝御前(お膳?)で、直りて
信吉は、しばらく、辺りを打ちながめ
「合点の行かぬ事がある
今朝に限り、信徳丸は
何故、起きぬ
五郎、兄様、起こせや」と、
父の仰せに五郎丸
「あーいー」と返事も優しげに
掛かるその座を罷り立ち
兄の一間へ来たりける
枕の元に、手をついて
「これのう申し、兄様
あれ、父様(ととさま)
お目覚めしや
起きなされませ」
と呼び起こす
「あい」と
返事も苦しげに
ようよう、顔を振り上げる
五郎丸、見るよりも
怖い怖いと、逃げ出だし
母の傍にと駆け来たり
わっとぞばかりに泣き沈む
母はこの由、見るよりも
「何が怖い、なんで泣くのじゃ
これ、五郎丸」と
言われてようよう、顔を上げ
「あれ、兄さんは
あのよな怖い面を被りてじゃ」と
聞いて、この時、信吉は
「これ、信徳丸、ねはだ(寝肌)も離れずに、悪足掻き(あがき)
何故に、五郎丸を泣かせたのじゃ
早う、起きよ、信徳丸」
と、呼び立てられ、是非も無く
重き枕を上げ給い
ようよう、一間を立ち出ずる
継母は、ひと目、見るよりも
大願成就と、心では
喜びながら驚く体
「やあ、信徳丸は、顔をなんとした
あの顔をご覧あそばせ」と
言われてこの時、信吉も
総領の顔、見るよりも
はっとばかりに驚いて
そのまま、傍に駆け寄りて
顔をつくづくと、打ち眺め
「これ、信徳丸
何時の間に、このような
汚い、片端になり落ちた
昨日迄は、あの様に
信吉長者の御総領
信徳丸様と申するは
今業平(なりひら)じゃと言われたる

優れし器量を持ちながら
たった一夜がその内に
今朝がそなたが、その様(ざま)は
緑の髪も、まい(?舞い)禿げて
鼻は欠けて落ちるやら
唇、目尻、耳鍔(つば)も欠けて
膿血(うみち)となり崩れ
これが、大方(おおかた)
癩病と言うであろ
我が家においては、昔より
筋目を選んで、縁組みいたし
この様な病人は、できぬはず
如何なる毒の喰い当たり
何神様(なにがみさま)の咎めし」と、言うて、長者も嘆かるる
父の嘆きに信徳も
その儘、一間へ入られては
傍なる鏡の蓋をはね
我が顔、見るより驚きて
「なんと、しょうぞい、我が姿
このような汚い片端なるような
さまでの毒も喰わなんだ
何神様のお咎めぞ
いっそ、このまま死にたや」と
その座にどうと、伏し沈み
前後、忘れて嘆かるる
長者、此の由、ご覧あり
我が子を不憫と、思われて
「やれ、皆の者
湯を持てや
必ず、水は、くれまいぞ
医者を呼んでの、ほうじゃのと(?)(※法者?){祈祷}
様々、介抱なされども
その甲斐さらにあらざれば
泣いて、その日を暮らさるる


既に、その日もくれけるが
その夜、夜半の頃なるが
又も、継母の企み事
白装束に、さっと振り散らし
我が住む一間を忍び出で
梯子(はしご)を一脚持ち来たり
我が家の小屋根に掛けられて
そろそろ、屋根に上がられて
その身は、神と偽って
声を変わらせて、継母殿
「善哉善哉
我こそは、春日明神なり
信吉長者に物教えをいたさん」と
声高々と申しける
長者は、この声聞くよりも
「はて、合点の行かぬ、不思議な声、屋根でする」
と、耳を澄ましていたりける

いま‐なりひら【今▽業平】
まさに今の世の在原業平?(ありわらのなりひら)?といえるような美男


説経祭文 信徳丸一代記 四段目 継母の段

去る程に
継母の「おたま」はこの時に
「そもそも、我が家に
癩病病みの出まじ事
先妻、懐妊の砌(みぎり)
春日の宮を汚したり
その咎しめによって産後には
血方(ちがた)の病と致し
遂に、一命を取りたれど
神の罰当(ばっとう)の事
心付かぬ故
この度、一子、信徳丸を癩病病みに致す
この家(や)で介抱いたすなら
大神宮を汚し、荒神(こうじん)の気を背く故
一家一門を取り絶やさん
家を繁盛させたくば
早々、明日は、癩病人を
何処(いづく)へなりとも
追い出すべし
努々(ゆめゆめ)疑う事なかれ
我こそ、春日明神なり」と
屋根より、そっと降り
梯子を隠し、それよりも
我が住む、一間に入られては
常の衣服に着替えられ
我が子の五郎に添い寝して
そ知らぬ体にて居たりける
次第にその夜も更け渡り
早や、東雲の明け烏
信吉長者は、お目覚めで
女房を近く、召されて
「これ、女房、昨夜、不思議なるかな
春日明神のお遣いに
信徳丸が、癩びょうてなりしこと
春日の宮の咎めしとある
この家で介抱いたすなら
神々様を、汚す故
一家一門、皆、取り絶やすとの
昨夜のお告げに
如何はせん」と
信吉は、涙ながらに申さるる
継母は、この由、聞くよりも
夫(おっと)の傍に近く寄り
「申し夫上(つまうえ)様
果てたる人を悪しく言うではなけれども
定めて、先妻は、放埒者(ほうらつ)と、みまして

あのような筋目の子ができました
この家に於いて
あの様な、悪い病人のできし事
言い伝えにも聞かなんだれば
定めて、先妻が
あなたの目を、眩まして
裏男をしてできた子でござんしょう
それを、あなたがご存じ無いが
先妻の無事で居る内から
取り取りの評談
私どもまで、耳ざいざい(在々)、聞いておりました

子で無いと思えば
敵も同然
兎に角に、はいのたつよりに(?)
(※神罰、当たらぬ内に)
良いご了見なされませ」と
実心(じつしん)そうに見せかけて
おなつと(?)を勧むる根性は
鬼より蛇より、恐ろしい企みを致す女なり

信吉、これを聞くよりも
凡夫の心の浅ましや
死んだ女房が憎くなり

「しからば、信徳丸は
いったい、俺の子で、無いと
この世で生き業(ごう)曝す奴
天王原へ追い出し
五郎に後を相続させ
安穏に暮らさん」
俄に、心が変わり
かかる所を立ち上がり
総領の一間に駆け来たり
枕の元に、立ち寄りて
「ここな、乞食、業病病み
顔を上げよ」
と、言われては
信徳丸、ようよう、顔を振り上げて
「申し、父上様
何(なに)のご用でござります」と、言わせも果てず
「これ、信徳丸
おのれめは、いったい俺が子で無い
今日より親子の血縁(ちえん)を切って、勘当いたす
親っと思うな、子でないぞ
何処へなりと、失せおれ」と
聞いて、
「これ、のう申し、父上様
今日に限り、私を
子で無いとは、何故に」
と言わせも果てず
「小癪な(こしゃな)子餓鬼」
と、踏みのめす
踏みのめされて、信徳丸、傷む所をなでさすり
泣くより外のことぞなし

 

 五段目 なげきのだん

 

さても、哀れや、信徳丸
ようよう、涙の顔を上げ
「申し、父上様
私(わたくし)を、子でないと
仰せあそばすは
本に、私(わたし)が様に
氏にも、  鶴にも無い

斯く、業病となりし者
子と仰せ遊ばすなら
家の疵と思し召して
御勘当、背きはいたしませぬ
今宵、這い出でて参ります」と
言うてはみれど、身の辛さ
心細さは、限り無し
その座にどうと、伏し沈み
泣いて、その日を暮らさるる

 

以下省略

 

ざい‐ざい【在在】
あちこちの村里。また、いたるところ。

つるのこ【鶴の子】 雲孫のこと

雲孫(うんそん、つるのこ)は直系8親等で仍孫の子、昆孫の孫、来孫の曽孫、玄孫の玄孫、曽孫の来孫、孫の昆孫、子の仍孫、孫の孫の孫の孫を指す。9世(8代後)の末裔である。意味は雲のように遠い孫。