説経祭文 三荘太夫 廿八 朱雀詣段 上


説経祭文

三荘太夫

梅津院

 

廿八 朱雀詣段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・竹太夫・深太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

朱雀詣の段


若太夫直伝


さればにやこれはまた
掛かる折から、ここにまた
これも、都に隠れ無き
梅津の院大納言広忠(ひろただ)卿と申するは
御身に不足はあらねども
如何なる事にや、妹背の仲
末の世継ぎの有らざれば
朝夕、妹背の御(おん)嘆き
ある夜、枕の睦言に
「これこれ、申し、夫上様
この土に女子(おなご)と生まれ(むまれ)来て
子を持たざりしその女
死して、冥途へ行く時は
石女地獄へ落ち行きて

呵責の責めに遭う(おう)とかや
よしそれとても、厭わねど
末の世継ぎの無き時は
梅津(むめづ)の家は一代限り
思い(え)ば悲しや」と
涙に暮れての物語、広忠卿、聞こし召し
「尤もなるなる、御台が歎き
そうれ、三河の国、矢作の長者、秀勝は、

 音に聞こえし、有徳人
去りながら、
末の世継ぎの無き事を悲しみ
鳳来寺峰の薬師へ大願(だいがん)を掛け
男子、叶わず、女子一人授かり
二代栄い(え)し例しあり
我は、三河の国、鳳来寺峰の薬師へは、

遙かの道を隔てで(て)候えば
思いながらも叶うまじ
なれども、当所、七条朱雀権現は
人の行く末、武運、出世を守(まむ)らせ給う御(おん)神と、伝え聞く
我も、これより
七条朱雀権現へ、祈誓を掛け
男子なりとも、女子なりとも
末の世継ぎを、授からん、思い立つが吉日」と
俄に供人、申し付け
まだ東雲の頃なるが
御(おん)乗り物に召されつつ
梅津の館を立ち出でて
朱雀の社へ急がるる
急がせ給えば今は、早や
これも、都に隠れ無き
早や、七条に新たなる
朱雀の社に着き給う
門前よりも大納言
御(おん)乗り物より降り立ちて
御(おん)靴召され
静々と、先ずは、社へ上がられて
「如何にとよ、皆の者
我は、当社に大願あって
今日より七日間(あいだ)の通夜をいたす
その方達は、館へ戻り
満ずる七日の明け方には
迎い(え)の乗り物、かかせよ」
と、仰せに、はっと、
御きんじょ(近習)諸子
何かの様子は、知らねども、主命なれば、

恩を受けし皆、同勢を引き連れて
梅津の御殿へ戻りける

 

うま ずめ  【〈石女〉・不▽ 生▽女】
子供を生めない女。

 

 

 

 

 

 

矢作町(やはぎちょう)は、かつて愛知県碧海郡にあった町である。
現在の岡崎市の南西部、矢作川の西岸である

 

 

鳳来寺
ほうらいじ

愛知県東部,新城市にある寺。真言宗五智教団の本山。大宝3 (703) 年に利修仙人が開創。光明皇后の御願寺と伝えられる。源頼朝が建久年間に再興し,源氏の祈願所とした。徳川家康は父がこの寺に祈り出生したことから保護し,徳川家光は伽藍を増築し,新たに東照宮を建てた。

 

 


説経祭文 三荘太夫 廿八 朱雀拾揚段 下


説経祭文

三荘太夫

梅津院
対王丸

 

廿八 朱雀拾掲段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・三保太夫・伊久太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

ひろいあげの段


若太夫直伝


さればにやこれはまた
後にも残る大納言、広忠卿と申するは
心静に立ち上がり
知らせの鰐口、打ち鳴らし
只一心に手を合わせ
「南無有為、朱雀の大権現
乞い願わくば、願わくば
憐れみあって某(それがし)に
男子なりとも、女子なりとも
世継ぎを授けてたび給い(え)
南無有為、朱雀の権現」と
一夜ならず、二夜、三夜
七日七夜(しちにちしちや)がその間
断食なして、祈れども
何の子細も無かりしが
満ずる七日の明け方に
如何しけん広忠卿
様迄に(?さまで:然迄)心願込めけるが
頻りに微睡み(まどろみ)給え(い)ける
ああら、不思議の次第なり
俄に社壇、物凄く
誰人(びと)あって
神前の鍵取る者もなかりしが
御厨子(みずし)の扉、左右へ開くと見えけるが
忝くも、大権現
仮にお名な(おおな:媼)と、御身を現じ
微睡みけるが(「が」不要)大納言広忠卿の枕の元へ

只、すごすごと、来臨あり
「善哉、善哉、梅津大納言広忠卿
末の世継ぎの無き事を歎き
権現を深くも祈る
数も数多の人間種(にんげんだね)なれば(※ど)
梅津妹背のその仲へ
授くる子種のあらざりし
去りながら、今日、下向の途次(すがら)
五条松原の辺(ほとり)へ急ぐなら
年の頃、十二三なる小人(しょうにん)
身は卑しけれど
拾え(い)上げて、館へ戻り
家の世継ぎにいたされよ
広忠卿、努々(ゆめゆめ)疑う事なかれ
我を誰とか思うらん
則ち、当社、七条朱雀権現なり
誠の姿、これを見よ」と
神勅、新たに示されて
神は、社壇へ、上がらるる
思わず、梅津大納言
ふっと、御(おん)目を覚まされて
「さては、今のは、権現様にて、ましますや
あら、有り難き、お告げ」
と喜びおわする折からに
申し付けある事なれば
梅津の殿(でん)より、御(おん)迎え
広忠卿は、心静に、それよりも
下向の鰐口、打ち鳴らし
礼拝なして社を下がり
御(おん)乗り物に召されつつ
朱雀の社を立ち退いて
五条の並木へ急がるる
早や、松原になりぬれば
乗り物、左右の戸を開けて
「何処に(いづくに)小人(しょうにん)有る子と」と
弓手と馬手(めで)に広忠卿
御目を配りおわせしが
ものの哀れは、対王丸
松の茂みを宿となし
御身に纏うは、菰筵(こもむしろ)
前後も知らぬ寝入り端(ばな)
広忠卿、遥かにご覧じて
「あれあれ、向こうの松の茂みに伏しおる小人
我、尋ぬる子細あれば
只今、これへ召し連れよ」と
仰せにはっと、御きん所(きんじょ)(※近習)が
「はあ、畏まって候」と
そのまま、彼処(かしこ)へ走り行く
かの、若君を、何の厭いも抗気(あらげ)なく
とある所を引っ立てて
乗り物、間近く連れ来たる
広忠卿は、彼の対王を、つくづくとご覧じて、心に肯き
『これぞ、ごん(大権現)の御告げ(おんつげ)ありし
家の世継ぎに疑い無し』
と、思し召され
「これへ」と言うて
あいこし(?相輿)の乗り物左右の戸を閉められ
「早や疾く、館へ急ぐべし」
はっと答えて、お漉酌(六尺:陸酌)
「おらが、お旦那、気まぐれだ
おら、この年まで、籠搔き
数多の殿様、担いだが
乞食を担ぐは、今が初」
と、互いに、ぶつくさ、囁けど、
主命(しゅうめい)なれば、是非も無く
五条の松原、搔き上げて
梅津の館へ急がるる



かつて平安京に貫かれた一条から九条までの大路。千年以上経ったいまも、一条から九条までの通りが健在である。ところが五条に限っては、いまの五条通とちがって、現在の松原通が旧の五条通にあたるという。安土桃山時代から江戸初期のころ、松並木が続く道だったことから「五条松原通」と呼ばれだしたのが、いつしか「五条」を略して「松原通」の呼び名になった。そこで、消えてしまった「五条通」の名を復活させようと、六条坊門小路を五条通と改めた。
 いまの松原通にかかる「松原橋」が、「旧五条橋」であった。この橋は清水寺の参道にあたるため古くからかけられており、清水さんへお詣りに行くための「清水橋」とも、また清水寺の僧の勧進によってかけられたので「勧進橋」とも呼ばれていた。
  そして牛若丸と弁慶の出会いも、この松原橋といわれている。そう聞いて松原橋を渡ってみれば、真正面に東山三十六峰が美しい稜線を描く、なんとも絵になる眺めである。
  いっぽう、現在の五条通に初めて橋がかけられたのは天正年間(一五七三~九一)。豊臣秀吉が方広寺大仏殿を造営するにあたって、鴨川に橋を掛けよ、と命じたらしい。牛若丸と弁慶の時代には、いまの五条大橋は存在しなかったことになる。

ろくしゃく【六尺・陸尺】
〔「力者(りよくしや)」の変化という〕
① 近世,輿こしや駕籠かごをかついだ人足。駕籠舁かごかき。


説経祭文 三荘太夫 廿九 参内段


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

廿九 参内段 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・竹太夫・伊久太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

対王丸参内の段


若太夫直伝

 

さればにやこれは又
程無く、館になりぬれば
御(おん)乗り物は
先ず、玄関へ横付けの
かの若君を女郎達に申し付け
湯殿へ下げて、身を清浄(しょうじょう)に清められ
扨(さて)、それよりも、若君を
御台所に、引き合わせ
目出度く、親子(しんし)の御(おん)固め
早や、御酒宴も相(あい)、済めば
広忠卿は、その時に
「何はともあれ、御門(みかど)へ上がり
世継ぎの願いを奏聞せん」と
御(おん)装束を改めて
僅かの供人、召し連れて
梅津の館を立ち出でて
御門を指して上がらるる
斯くて、御門になりぬれば
世継ぎの願い、悉に(つぶさに)奏聞なしければ
有り難くも御門の宣旨
「忝くも、朱雀権現の御(おん)告げに任せ
拾い上げたる世継ぎとあらば
早々、最上、吉日を選み(び)
同道なして参内仕れ」と
宣旨に、はっと、広忠卿
「はは、畏まり奉り候」と
御(おん)受け為し、館を指して下がらるる
館になれば、広忠卿
俄に、ご用意なし給う
誠に御殿は、御混雑
程無く、最上吉日なれば
対王丸の装束は
一際目立ちて華やかに
広忠卿も、御装束を爽やかに
御近習、沓(くつ)取り、始めとし
同勢行列、華やかに
梅津の御殿を立ち出でて
御門を指して上がらるる
斯くて、御門になりぬれば
御(おん)御簾(みす)、遥かに、見渡せば
九条関白を始めとし
一条前(さき)の大納言
その他(ほか)、数多(あまた)公卿(くぎょう)達
下官人(げかんじん)に至るまで
日夜、出仕の隙(ひま)もなく
御門を守護し奉るは
由々しかりける次第なり
謹んで、広忠卿
「勅命に任せ、世継ぎを同道仕って候」と
奏聞なせば、数多、並み居る公卿達
「梅津殿には、こは如何に
家の世継ぎに困ればとて
承れば、この間まで
洛中洛外、袖乞いをいたして歩きし童子を

拾い上げ、家の世継ぎは、何事
禁中の穢れ
我々が、同席は、叶わぬ
乞食の座が高い、下がりおれ」と
遙かの末座(ばつざ)に追い下げる
広忠卿も、その時に
面無き(おもなき)体(呈)にて
おわせしが
追い下げられたる若君は
無念の歯噛みを噛み鳴らし
「これにて、系図を出ださんや
如何はせん」
と、とつおいつ
しばらく、御思案、なされしが
ようよう、思い定められ
「はっあ、それ、世の中の例えにも
生みの親より、育ての親が、大恩とある
さあらばこれにて、系図を出だし
梅津の恥辱をすすがん」と
守り袋の内よりも
信太(しだ)玉造の一巻を取り出だし
扇子を開き、乗せられて
目八分に(はちぶん)差し上げ

怖めず憶せず(おめずおくせず)恥じらえ(わ)ず
父、弘忠の御前(おんまい)へ、系図を直し
元の末座へ下がられて、両手を付き
「如何にとよ、父上様
それにも、直し候は
恐れながら、某が家の系図の候えば
何卒宜しく、ご披露願い奉る」と
申し上げれば
数多(あまた)並み居る公卿達
「なんと、方々
乞食も系図のあるもので御座るか
やれ、可笑しや」と
どっと返して、打ち笑う
広忠卿は、その時に
系図の巻物取り上げて
関白殿へ差し上げ
「何卒、御門へ宜しく願い奉ります」と
申し上げれば、関白殿
その由を御門へ、奏聞なせば
御簾内(ない)より御門の宣旨
「何、関白
家の系図とあるならば
それにて披見いたしてよからん」と
宣旨に、はっと、関白殿
信太玉造の一巻を取り上げ
うやうやしくも押し戴き
紅(くれない)の紐を解き
押し開き
「何々、系図の巻き
人皇五十代桓武天皇第五子
一つ品(ひとつぼん)式部卿
葛原親王の後胤
奥州五十四郡の主
岩城の判官、政氏、一子、対王丸有俊」と
読み上げ給えば其の時
数多の公卿、てんでに顔を見合わせて
「さっても不思議のお乞食様」と
冠(かんむり)傾げて平服す
忝くも、御簾は半ばに巻き上がり
遥かに、叡覧ましまして
「さては、その方は
政氏が一子、対王にてありけるや
父政氏は、子細あって
筑紫へ流罪申し付ける
長々の流浪、さぞかし、艱難にてありつらん
去りながら、此の度
梅津広忠に拾い上げられ
斯く参内を致す事
誠に尽きざる三世の縁
今日より、梅津大納言広忠が世継ぎとなさん」と
御門のお流れ、頂戴し

それより、父の本領たる
五十四郡安堵のお墨付き給われば

梅津親子(しんし)の人々は
「あら、有り難き仕合わせ」と
御喜びの限り無し
何、思いけん若君は
五十四郡に引き替えて
佐渡と丹後を願わるる
御門は、その由聞こし召し
「望みに任せん」と
又々、佐渡と丹後、二カ国を
下し置かれてありければ
梅津親子の方々は
「冥加に叶いし、仕合わせ」と
喜び勇み、御門へお暇申し上げ
関白殿を始めとし
並み居る数多の公卿達へ
礼儀を正し、館を指して下がりける
 

めはちぶん【目八分】
目の高さよりやや下がったところ。また,神前や貴人に物を差し上げるとき,その高さにささげ持つこと。

参考:「平家物語」祇園精舎(その4)

(清盛の)先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品(いつぽん)式部卿葛原(かつらばら)の親王みこ九代の後胤こういん、讃岐守正盛まさもりが孫、刑部ぎやうぶ卿忠盛ただもり朝臣の嫡男なり。

おながれ【御流れ】
酒席で,敬意を表すため目上の人の飲み干した杯を受けて注いでもらう酒。もとは貴人や主君の杯に残った酒をもらった。


説経祭文 三荘太夫 三十 国順検乃段 上


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

三十 国順検乃段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・忠二・三亀・粂七

 

馬喰町二丁目
森屋治兵衛板
横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

対王丸国順検のの段


若太夫直伝

 

さればにやこれは又
館になりぬれば若君は
佐渡ヶ島より丹後の国への御巡検

人、場の手当を致すやら
梅津の御殿は、大騒ぎ
対王君は梅津小太郎有俊と
御改名を遊ばされ
先ず、前日に、先触れ
宿割り役人は、梅津の館を立ち出でて
北陸道(ほくろくどう)へ、急がるる
越後の国に隠れ無き
直江が浦へ御本陣を、申し付け
扨又、直江が浦より佐渡ヶ島へ
御渡海の御船(みふね)の用意も申し付け
それより、先触れ役人は
佐渡ヶ島へ押し渡り
外海府(そとがえふ)、次郎が方へ御本陣を申し付け
まった、松ヶ崎の浜端へ、御船上がり 

仮の御殿を建てさする
其の時、外海府の次郎
家内の掃除仕り
御国主様の御(おん)着きを
今や遅しと待ち居ける


それは、扨置き、此処に又
物の哀れを留めしは
岩城の判官政氏の御台
むらじ(?連)の御方は
佐渡の次郎に買い取られ
粟の畑に追い出され
鳴子の綱を控えられ
『鳥も生有るものならば
追わずと立てよ、粟の鳥
鳴子も生あるものならば
引かずと鳴れや、鳴子竹
安寿恋しや、ほやれほう
対王恋しや、ほやれほう』
と、言うては、そこに伏し転び(まろび)
遂には、両眼、泣き潰し
物憂き、月日を送らるる

掛かる折しも、ここに又
外海府の童(わらんべ)は
寺子戻りの道草に
草紙手本を抱えられ
野良道畦道、打ち連れて
八反畑(はったんばたけ)へ飛んで行く
なんなく畑に、なりぬれば
かの藁小屋の傍に行き
「これ、ばばあ殿
なんと、いつもの通り
今日も、歌を歌とうて、聞かせぬか
さあさあ、歌が所望じゃ」と
言われて、是非無く、御台様
涙ながらに立ち上がり
鳴子の綱を手に触れて
「鳥も生あるものならば
追わずと立てよ、粟の鳥
鳴子も生あるものならば
引かずと鳴れや、鳴子竹
安寿恋しや、ほやれほう
対王恋しや、ほやれほう」と
歌わせ給えば童(わらんべ)は
「そりゃこそ、なぶれ」
というままに
土塊(つちくれ)取って打ち付ける
御台は、はっと驚いて
「えい、面憎い、村子供、そこ、退くまい」
と、いうままに
傍なる竹杖、振り上げて
打たんとすれば村子供
「そりゃこそ、逃げよ」
と、言うままに
我も我もと打ち連れて
外海府へと逃げて行く
後にも残る御台様
「はて、合点の行かぬ
今日に限って子供等が
『安寿が来た、対王が尋ねて来た』と言うて
自らに思いをさせる
昨夜は、これなる藁小屋にて
とろとろと、まどろむ夢に
我が子対王が、立派な侍になって
尋ねて来たと見る
夢には、逆さ
良き事を見れば、悪しき事の来たるとある
今日、子供等が、自らを
嬲るを知らせの昨夜の夢にてありけるや
はっあ、これに付けても
安寿や対王は、
どこにどうして居る事ぞ
思えば、思えば悲しや」と
涙の隙にも、鳴子の綱
引いては小鳥を追われける



佐渡市松ヶ崎は佐渡ヶ島の南東部、海を隔てて越後と相対している。
 


説経祭文 三荘太夫 三十 国順検乃段 下


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

三十 国順検乃段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・忠二・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

対王丸国順検の段


若太夫直伝

 

さればにやこれは又
梅津小太郎有俊(ありとし)は
数多の同勢、行列揃え
梅津の殿を罷り立ち
北陸道(ほくろくどう)へ急がるる
北陸道の北の果て
越後の国に隠れ無き
直江が浦へ御到着
早や、本陣へ、入らせられ
有俊君は、宿(しゅく)役人を召され
「如何に、宿役人
当所に、山岡太夫言藤太と申す者の候わん
如何いたして候」と
尋ねに宿役人
はっと面(おもて)をあげ
「畏れながら、申し上げます
その山岡太夫と申しまするは
さいつころ、奥方より筑紫へ通りまする
主従四人の旅の女子(おなご)を拐かし(かどわかし)
即ち、ここ直江のの海上にて
二人(ふたり)づつ、佐渡と丹後へ売り分けまする
佐渡へ売られし二人(ふたり)の老母
一人(いちにん)は大海へ身を投げまして候が
女の一念恐ろしや
忽ち、大蛇となり
かの山岡を引き裂き、海の水屑と仕り
元の起こりは、直江が浦にて
宿、貸さざる恨みとあって
当所、千軒を、荒れ渡りまする事
昼夜の分かち候らわず
余りの事の不思議と
千軒の者共、打ち寄りまして
名誉の博士をもって、占わせ見まするに
入水なしたる局、乳母竹が怨霊と易の表に出まする故
せめて、祟りを鎮めんと
早々、浜辺に祠を建て
乳母竹大明神と、ひとつ社(しゃ)の神に勧請いたし
当所千軒の鎮守に祀り奉って候」

と、申し上げれば、対王君
「さては、左様に候か
その義にあらば、是非に及ばぬ
去りながら
明(みょう)朝、出立の折からは
その社へ、参詣致さん
その折からは、その方ども
大義ながら、案内仕れ」
「はは、畏まり奉りまして候」と
首尾良く、御前を下がりける
程無く、その夜も明けぬれば
有俊君は、直江の本陣、お立ちあり
宿役人が案内にて
乳母竹社へ御参詣
心静に伏し拝み
それより御船(みふね)に召されつつ
都合、船数、十三艘(ぞう)
越後の直江を出船し
佐渡ヶ島へと急がるる
追風(おいて)に任せて、行く程に
佐渡ヶ島に隠れ無き
松ヶ崎へ、御着船
仮の御殿へ入らせられ
御休息のその内に
追い追い、供舟、着船す

 


説経祭文 三荘太夫 卅一 母対面乃段 上


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

卅一 母対面乃段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

対王丸母対面の段


若太夫直伝

 

さればにやこれは又

有俊君(ぎみ)は、御(おん)装束を改めて
さらば、これより
外海府、次郎が方へ、急がんと
御馬(め)に召され
同勢、行列、振り立ちて
下に下にの声高く
浜辺の御殿を立ち出でて
外海府へと急がるる
急がせ給う途次(みちすがら)
既に畷(なわて)に差し掛かる
ここに哀れは、御台様
我が子に逢うとも露知らず
鳴子の綱を控えられ
「鳥も生有るものならば
追わずと立てよ、粟の鳥
鳴子も生有るものならば
引かずと鳴れや、鳴子竹
安寿恋しや、ほやれほう
対王恋しや、ほやれほう」と
歌わせ給う御声(おんこえ)が
風の最寄りか知らねども
遥か此方(こなた)の往還で
若君、遥かに、耳に止め
「同勢、しばし」と
御馬(ま)を留め、御近習(きんじゅ)を召され
「村役人を、是へ」とある
御近習が、
「畏まって候」と
村役人を呼び立てる
所の役人、「お国司様の御召し」と
聞いて、はっと、お請け(うけ)をいたし
袴、羽織を、着(ちゃく)なし
裸足で、そこへ駆け来たり
大地へ頭(こうべ)を擦り付ける
有俊君、ご覧じて
「これ、村役人
只今、これにて、承れば
遥か彼方(あなた)の彼方(かなた)にて
女性(にょしょう)の声として

面白しろそうな連ね言(ごと)
あれは、如何なる者にて候」
仰せに、はっと村役人、面を上げ

「畏れながら、お国司様へ、申し上げます
あれは、今日、お国司様の
御本陣を仕ります、外海府の次郎
さいつころ、何国(いづくに)よりかは、
二人(ににん)の老婆を、買い取りましたるところ
一人(いちにん)は、大海へ身を投げまする
今一人は、我が子に焦がれ
遂に、両眼を、泣き潰しまする
目が見えぬ婆、家内へ置いて、詮無き事と
次郎、即ち
所持なす八反の粟の畑へ追い出し
鳴子の綱を引かせ、粟をついばみまする
小鳥を、追わせ置きまする様に御座ります」
有俊君、始終を聞いて、胸に釘
「さては、左様にありけるや
その義にあらば、定めし面白からん
某、これより、その粟の畑とやらへ参り
今、一応、承らん

その方、案内仕れ」と
馬上を降り立ち
同勢は、皆、そこに残し
御近習諸子に草履取り
村役人が案内で
粟の畑へお立ち寄り
難無く、畑になりぬれば
床几を直させ掛からるる
村役人は、駆け抜いて
彼の藁小屋の傍に行き
「これ、婆あ殿
其方も、定めし、噂は聞いて
知ってであろう
此の度、この国は、国替えあって
今日(こんにち)、都より
お国主様の御(おん)着き
只今、松ヶ崎の仮御殿より
外海府へお通り
あれなる往還にて
其方が歌う、その粟の小鳥の歌がお耳に留まり
今、一応、御所望とある
其方は、目界は見えまいが
遥か、彼方(あなた)には、お国主様の御出で遊ばす
随分、粗相の無い様に
念を入れて、歌わしゃれ
思えば、思えば、こなさんは
冥加に叶いし事なる」と
言われて、その時、御台様
涙の御顔、振り上げて
「これはしたり、村人(むらびと)方
不調法なるめくら婆が、申しまする連ね事
何しに、都のお殿様
お耳に留まろう様がない
この義ばかりは
どうぞ、お許しなされて下さりませ」
「これはしたり、大切なるお国主様の御所望に
歌を歌わいで済もうと思わしゃるか

 


説経祭文 三荘太夫 卅一 母対面段 下


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

卅一 母対面段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

対王丸母対面の段


若太夫直伝

 

(「これはしたり、大切なるお国主様の御所望に
歌を歌わいで済もうと思わしゃるか)

よしよし、歌を歌わぬものならば
次郎殿をこれへ呼んで来て
お国主様の御所望に
歌を歌わぬと言うて
えらい目に遭わしてくりょう
どれ、外海府へひとはしり」と
行かんとすれば、御台様
「やれ、待ち給え、村人方
左迄の事にあるならば
是非に及ばぬ、歌うてお聞かせ申しましょう
それにて、御(おん)聞き遊ばせ」と
鳴子の綱を手に取って
「鳥も生有るものならば
追わずと立てよ粟の鳥
鳴子も生有るものならば
引かずと鳴れよ鳴子竹
安寿恋しや、ほやれほう、対王恋し」
と、聞くよりも、若君、はっと驚いて
床几を離れ、走り行き
「母上様にてましますや
対王丸にて候ぞ
御(おん)懐かしや」と
取り縋る
御台は、はっと、驚いて
「えい、面憎い、村子供
国主の所望と偽りて
又もや、妾(わらわ)を嬲るのか
思い知らせん童(わらんべ)」と
そばなる竹杖(づえ)振り上げて
無残なるかな、若君を
ちょうちょうはっしと、打ちたたく
あら、労しの若君は
打たるる杖の下よりも
「さては、朝夕、童(わらんべ)が
我が来たとて、母上を嬲るとこそは、覚えたり
我は誠の対王」と
言えども、両眼見えざれば
如何はせんと思いしが
思いついたる、守り袋を外されて
母上様の額へ押し当て、一心に
「佉羅陀山の地蔵尊
母上様の御両眼
何卒、これにて見開かせ
親子の対面させ給え
南無有為、岩城の御守り
佉羅陀山の地蔵尊」と
只一心に、念じしが
ああら、不思議の次第なり
守り袋の内よりも
金色(こんじき)の光りを発すと見えけるが
両眼、はっと、見開けば
親子は、顔を見合わせて
「さては、我が子の対王か」
「えい、懐かしの対王よ、母上様」
と、ばかりにて
親子は手に手を取り交わし
顔と面を見合わせて
嬉し涙に暮れけるが
合点行かねば御台様
涙の御(おん)顔、振り上げて
「合点の行かぬ、対王丸
噂を聞けば、この国ばかりにあらず、

まった丹後の国
奥州三カ国を領すとある
余りと言えば、合点の行かぬそなたの出世
姉の安寿は、如何致して候
早や疾く、様子を聞かせよ」
仰せに、はっと若君は
始終の様子を物語り
先ず、母上を御乗り物に召させまし
御近習諸子が御共し
とある粟の畑より
浜辺の御殿へ送りける
後にも残る有俊君
村役人を近く、召され
「これ、村役人、某、これより
外海府、次郎が方へ参るとも
この場の様子は、決して沙汰無し
きっと申し付けたる」と
粟の畑を立ち出でて
御馬(むま)に召され
さわらぬ(さあらぬ)体にて若君は
同勢行列揃えつつ
下に下にの声高く
外海府へと、急がるる


説経祭文 三荘太夫 卅二 外海府治郎仕置段


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

卅二 外海府次郎仕置段 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

外海府次郎 仕置の段


若太夫直伝


さればにや、これは又
外海府になりぬれば
次郎が方へ入らせられ
次郎を御前へ召され
「汝が方に、何処(いづく)よりか買い取りし

二人の老婆あらん、如何いたして候」と
仰せに次郎、はっと面を上げ
「畏れながら、申し上げます
買い取りましたる二人の老母
一人は、大海へ身をなげまして候が
今一人は、我が子に焦がれ
両眼を泣き潰しましたる故
粟畑へ追い出しまして
鳴子の綱を、引かせ
粟穂をついばみまする

小鳥を追わせ置きまする様にござります」
若君、聞こし召され
「その鳴子の綱を引いておる
盲(めくら)婆に、尋ぬる子細候えば
只今、これへ、召し連れよ」
「はは、畏まって候」と
そのまま御前(ごぜん)を下がりつつ
数多の下部に、申し付け
畑へ迎いに走らする
最早、婆めは、見えざれば
下部は、皆々、駆け戻り
その由、次郎に申しける
次郎、その由、聞くより
心ならねど、そのよしを
お国主様へ言上す
対王君は、はったと怒り
「愚かなりける次郎右衛門
おのれ、我が面体を見忘れつらん
さいつころ、越後の国、直江が浦の海上にて
山岡太夫が元より
丹後の国に売られたる姉弟
弟は、某なり
母上様をよくも、非道になしたる」
と、聞くより、次郎、驚いて
「こは、叶わなじ」と
立ち上がり、逃げんとなせば
申し付けある事なれば
弓手馬手より若侍
「取った」「遣らぬ」(やらぬ)
と、言う儘に
高手小手に縛(いまし)めしは
小気味良くこそ見えにける
有俊君、にっこと笑い
「おのれ、言語に絶せし大悪人
一国の者への見せしめ
早々、松ヶ崎、浜辺にて
逆さ磔(はりつけ)に行わん
先ず、それまでは、
仮の獄屋へ押し込め、糾明の致させよ
早や疾く、縄付き、引っ立てよ」

と仰せに、はっと、若侍
次郎を引き立て、仮の獄屋へ押し込める
有俊君も、次郎が方を、お立ちあり
浜辺の御殿へ入らせられ
村役人を召されつつ
松ヶ崎の浜辺へは
仕置き場、申し付けらるる
村役人は、御受けし
数多の人足、助郷の

松ヶ崎の浜端へ
青竹矢来を結い回し
 辺りも燦めく抜き身の槍
逆さ磔の柱の用意も仕り
程無く、その日になりぬれば
皆、一国の人々は
「今日ぞ、次郎が仕置きなり」
我も我もと見物は
松が崎の浜端に
人で山築く(つく)ばかりなり
次郎が、刑罰、有る事を
今や遅しと待ち居ける
待つ間も程無く
仮の獄屋の方よりも
次郎を引き出し来る
物の哀れは、外海府(そとがえふ)
今を、我が身の最期と
色青ざめて、がながなと
羊の歩み、隙(ひま)行く駒 

矢来の内になりぬれば
何の厭いもあらばこそ
縛めの縄、解きほぐし
用意の柱のその上へ
仰(あお)に寝かし
両手両足(そく)くくし付け
柱を押し立て、根締めを決めると見えけるが

血気盛んの若侍
大身(おおみ)の槍を携えて
左右(さゆう)よりも、見せ槍を出すよと見えしが
左より、エイヤッと突き出だす
抜けば、右より突き出だす
あら、情けなや、外海府(そとがえ)は
七転八倒仕り
苦しむ事の限り無し
互い違いに突く槍を
数えてみれば、32本と覚えける
留めの槍が三本にて
さしも豪儀の外海府
明日の露と消えにける
対王君、警護の者に申し付け
「亡骸は、一国の者への見せしめ
そのま、二夜三日(さんにち)が間(あいだ)曝すべし」
と、申し付けられ
浜辺の御殿へ帰らるる
「如何にとよ、母上様
某は、これより丹後の国へ押し渡り
三庄太夫親子の奴原を召し捕り
重き、刑罰に行わん
あなた様は、これより御船にて
都、梅津の館へ入らせられてしかるべし」
御台所
「その義にあらば
自らは都、梅津で待ち受けん」と
俄にご用意遊ばされ
数多の人に、敬われ
御船に召され母上は
佐渡ヶ島より遙々と
都を指して急がるる

後にも残る若君は
国の仕置きを申し付け
奉行を残し、それより
御船に召されつつ
佐渡ヶ島を出船し
丹後の国へと急がるる

扨又、丹後に隠れ無き
渡りが里は江の村
庄屋が方へ都より
先触れ役人、罷り越し
「近々、我が君、梅津小太郎様
佐渡ヶ島より、この国へ御巡検
当所、国分寺と申すがあらん
この度、子細あって、
御本陣を申す付くる間
早々、住僧へ申し渡し
御本陣の用意を致して然るべし」

と申し渡せば
庄屋、杢左衛門(もくざえもん)
「はは、委細、畏まりましてござります
遠路のお先ぶれ、ご苦労千万に存じます
先ず先ず、あれへ」と、
役人を客間に通し
色々、もてなし、ご馳走し
何はともあれ、この事を
お聖様に知らせんと
年寄り、百姓、組頭
連れて庄屋が先に立ち
御寺を指して急ぎ行く



すけごう【助郷】
江戸時代,宿場常備の人馬が不足する場合,幕府・諸藩によって人馬の提供を命じられた付近の郷村。また,その夫役。初め臨時的なものであったが次第に恒常化し,農村疲弊の大きな原因となった。

 

突棒(つくぼう)は、江戸時代に使用された捕り物道具のひとつである。刺股、袖搦ととも三道具の一種でもある。

隙(ひま)行く駒(こま)

《「荘子」知北遊から》年月の早く過ぎ去ることのたとえ。隙過ぐる駒。→白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如(ごと)し


説経祭文 三荘太夫 卅三 国分寺聖欠落乃段 上


説経祭文

三荘太夫

対王

 

卅三 国分寺聖欠落乃段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

国分寺聖欠落の段


若太夫直伝


さればにや、是は又
斯くて、御寺になりぬれば
先ず、お聖に対面し
右の次第を物語る
聖は、大きに、驚いて
「丹後の国と申するは
小国とは言いながら
御朱印地、大地頭もある中に

 斯く、見苦しい我が寺へ
御本陣を申しつかると言うことは

一円、合点の行かぬ事では、ござらぬか」
庄屋は聞いて
「成る程、ご尤もではござりますれど
子細あって、申し付ける御本陣とあれば是非に及ばぬ
ただこの上は、当寺を
こそくり普請(ぶしん)でもやらかして
御本陣を勤めるより外の事は御座りますまい」 

「何にもいたせ、一円合点の行かぬ事でざる
何ぶん、此上、各々、宜しう頼みます。」
「心得ました、 必ず、御(お)案じ遊ばすな
早々、こそくり普請にかからん」

と、俄に村内(むらない)、騒ぎ立ち
近在近郷村々の諸職人を、込められ
肋(あばら)素通(すどう)の国分寺
こそくり普請を始めける
数多の人の事なれば
暫時に普請も出来上がり
残る所(とこ)無く用意をし
皆、村内(むらない)の者共は
国主の到着、有る事を
今や遅しと待ち居ける
又もや、来たる、お先触れ(ぶれ)
『いよいよ、明日、午の刻
お国主様の御(おん)着き』と
聞くより聖、ふっと思い出す
『それそれ、いつぞや
正月十六日、我が寺へ駆け込み
危うき命を匿い助け
都まで送り出せし、あの童は
ありゃ、奥州五十四郡の主
岩城の判官政氏の忘れ形見の対王丸
父は、御門の御勘気被りて
筑紫博多へ流罪とある
御門の御勘気を蒙りたる
大切なる流罪人の小せがれを
匿うのみならず
都まで送り出だせしは、我が落ち度
此の度の御国主様
肋素通(あばらすどう)のこの寺を
選りに選りて申し付ける
御本陣とあれば
きっとお咎めに極まった
さすれば、なかなか、こうして寺には居られぬ
さあらば、今宵、寺欠け落ちを致そう」
と、大きな気取り違いなり
唐傘一本、せたろうて

住み慣れ給う国分寺
何処(いづく)をそれと宛ても無く
寺欠け落ちを致しける


既に、夜も明けければ
今日、御国主様の御着きと
渡りが里は、大騒ぎ
程無く、その日も午の刻
有俊君は、早や国分寺へ御到着
御近習を召され
「当所の役人をこれへ」とある
御近習、「畏まり奉りまして候」と
次に立ちて、村役人を呼び立てる
庄屋杢左衛門
御国主様の御(おん)召しと聞いて
はっと、御(おん)受けなし
袴、羽織を着なし
末座(ばつざ)来たって、

頭を(こうべ)畳みに擦り付ける
有俊君
「これ、村役人
当寺の住僧、見えぬが
如何致して候」
仰せにはっと面を上げ
「畏れながら、申し上げます
住僧義は、先(さき)だって
当寺へ御本陣の御先触れを承り
『斯く見苦しい我が寺へ
御国主様より御本陣を申しつかるということは、

一円、合点の行かぬ』

と案じておりましてござりますが、 昨日

いよいよ、明日、午の刻には、御国主様の御到着と承り
夜前、どちらへか
寺出奔(しゅっぽん)仕りまして御座ります。

朱印地とは?歴史民俗用語。 江戸時代,朱印状によって年貢・課役の免除が保証され ていた寺社領

 

いちえん【一円】
① ことごとく。すべて。 
②(下に打ち消しの語を伴って)全然。いっこう。

 

こそくり
修繕。つくろい。 「へつついの-水がめの漏りを止めやうといふ塗りやうだから/洒落本・傾城買談客物語」

せたらう(大阪弁)
背撓う。「せたら」とは馬の背のたわんだところのことで、それに「負う」がついた「せたらおう」の転。荷物などを背負う、畿内での言い方。


説経祭文 三荘太夫 卅三 国分寺聖欠落乃段 下


説経祭文

三荘太夫

対王

 

卅三 国分寺聖欠落乃段 下

  

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

国分寺聖欠落の段


若太夫直伝

 

対王君、聞こし召され
「黙れ、村役人
此の度、当寺へ本陣申し付けるは

子細あって申し付ける本陣
それに、住持、出奔いたしたと言うて
済むべきと思うかやい
只今、尋ね出して連れ来たれ
只今、連れ来たらぬならば
村内(むかない)において
役儀を致す者共は
残らず、曲事に申し付けるぞ
早や早や、尋ね出して召し連れよ」

と厳しき仰せに村役人
「はは、畏まり奉りましてござります」と、
御(おん)受けなし、御前を下がり(さがり)
年寄り百姓組頭
その由、聞くより、驚いて
聖が追っ手を掛けようと
渡りが里は江の村
十五以上六十以下の
金玉ついたる者共を
残らず、御寺へ呼び集め
聖が追っ手を言い付ける
皆、村内の者どもは
五人八人十人と
最寄り最寄りで、手分けをし
八方十方、追っ手に掛かる
中にも、八人ひと組は
南の山路へ急ぎ行く
其の時、エンカイ聖殿(既出10上:げんかい玄海)
出家の身として、大胆な
隣村の源五兵衛(げんごろべえ)お婆が住家にて一夜を明かし
日頃の名残を惜しみつつ
納戸に隠れ居たりしが
おばばは、それと見るよりも
聖に早くも知らせける
聖、聞くより跳ね起きて
「こは、叶わなじ」と
越中どしふん一つの丸裸で
そのまま、背戸から藪を抜け
後ろの山へと逃げて行く
ようよう、山へ登りしが
遥かに後を見るよりも
「こは、叶わなじ」と
大きな洞穴、見つけ出し
無理や無体にもぐり込んで
お尻をひょいと出して居る
『頭隠して、尻隠さず』とは
このお聖様より、はじまりし
掛かる所へ八人は
山手を指してぞ追っかけ来る
彼の洞穴の此方(こなた)をば
通り過ぎんとなしけるが
中なるひとりが立ち止まり
「ああ、これ、皆の衆、待たっしゃれ
なんだか、あれ、向こうの洞穴に
お尻(けつ)がひょいと出ている」
「成る程、鬱金木綿(うこんもめん)の越中褌
それ、引き摺り出せ」と
言うより八人、走り行き
お尻(けつ)を捕らえて引き出だす
「そりゃこそ、お聖じゃ
これ、お聖様
おららが村は、偉い騒動
只今、お国主様、お着きとあって
村役人をお召し遊ばす
何のご用かと庄屋殿
御前へ出て、様子を承れば
当寺の住僧、見えぬが
如何いたしたと仰る故
『夜前、どちらへか、出奔仕りました』

と申しあげたたる所
いやはや、お国主様、
もっての外のご立腹
『この度、当寺へ、本陣申しつける事
子細、あっての本陣
それに出奔いたしたと言うて
済むべきと思うか
只今、尋ね出だして連れ来たれ
只今、連れ来たらぬものならば
村内(むらない)において役儀をいたす者共は
残らず食事、いや、食事ではなかった、曲事』と
偉い騒動でござる
さあさあ、お聖様
縄に掛かってよかろう」と
高手小手にくくし上げ
とある山路の方よりも
渡りが里へ連れ来たる

 

うこん‐もめん【▽鬱金木綿】
 鬱金色に染めた木綿。


説経祭文 三荘太夫 卅四 安寿姫骨対面乃段


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

卅四 安寿姫骨対面乃段

   

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

安寿姫骨対面の段


若太夫直伝


さればにや、是は又
急げば程無く、今は早や
渡りが里、江の村
国分寺になりぬれば
聖の縄付き
庄屋、杢左衛門に渡す
杢左衛門、縄付きを受け取って
直ぐに、お国主様へその由申し上げる
有俊君、聞こし召され

「その義にあらば、苦しゅう無い
縄付き、これへ」とある
「畏まり奉りましてござります」と
御前を下がり
聖の縄付き、引き立てて
国主の御前へ召し連れる
斯くて、御前になりぬれば
聖は、我が身の誤りに
差し俯いて居たりしが
対王君、御近習に打ち向かい
「如何にとよ、皆の者
某、住僧に、密々にて尋ぬる子細の候えば
その方達は、しばらく、次へ立ってよからん」
仰せにはっと御近習諸子(きんじゅしょし)
遥かの次へ、下がらるる
後にも残る若君は
聖の縛め、解きほぐし
「命の親のお聖様
先ずは、堅固で
此上も無き大慶」と
仰せに聖は驚いて
合点行かねば、お国主の
御顔(おんかお)、眺め居たりしが、有俊君
「見忘れつらんも、無理ならず
これに覚え、候わん」と
懐中より、衣の片袖、取り出だし
「これを見られよ」と
出だせば聖、手に取って
つくづくと打ち眺め
「こりゃこれ、いつぞや
七条朱雀権現の社にて
対王君にお別れ申せしその時に
愚僧が、形見に送りし衣の片袖
さては、あなた様は
対王君にてましますか」と
そのまま、お側へ駆け行きて
「誠に、お早き、お出世」と
御手を取りて、互いに顔を見合わせて
暫く涙に暮れ給う
聖は、ようよう、涙を払い
「承りますれば、佐渡、丹後、まった奥州、

三が国を領させ給うとある
余りと申せば、合点の行かぬ、御身のご出世
定めしこれには、子細ぞましまさん、若君様」
有俊君、聞こし召され
「成る程、御不審な、ご尤も
一通り、物語らん
何時ぞや、七条朱雀の社にてお別れ申し
露命の種に尽き果て
乞食(こつじき)非人とまで成り下がり
月日を送りしが
梅津大納言広忠卿に拾い上げられ
御門へ参内なし
家の系図を出だし
父の本領、奥州五十四郡の御(おん)墨付けを頂戴す
五十四郡に引き替えて
佐渡、丹後の二カ国を願う
綸言は、汗の如く
出でて、再び戻らざるとあって
奥州五十四郡は、そのまま
やはり、下し置かれ
佐渡、丹後の二カ国は
馬(むま)の飼料場に得させよとあって
又々、佐渡、丹後
二カ国の御墨付きを給わり
三が国の主となり
梅津小太郎有俊と改名(かいめい)いたし
佐渡ヶ島よりこの国への順見
子細は、あらまし、斯くの通りに候が
お聖殿にお尋ね申すは、別ならず
姉上安寿の姫様には
未だ、三庄太夫が元におわするや」
と、仰せに聖
急き来る涙の顔を上げ
「これは、したり
若君様としたことが
何しに、姉上様が
三庄太夫が元に御座遊ばそう
愚僧、疾くより
姉上様は、当寺へお匿い申し置きまして候
只今、これへ、お供いたさん
暫く、これに、ましませ」と
聖は、御前を立ち上がり
位牌棚へ走り行き
安寿の姫の御骨器(こつうつわ)、位牌をば
弓手と馬手に携えて
静々、そこに持ち来たり
うやうやしくも
対王君の御前へ直し
「太夫親子の手に掛かり
非業の最期を遂げ給い
亡骸、構いの藪より、拾い来たり
その夜の内に火葬にし
骨器へ納め置き
御戒名と諸共に
今日まで、朝暮の御回向怠らず」と
始終の様子細やかに
申し上げれば、若君は
わっと斗に、声を上げ
御(おん)骨(こつ)、位牌を取り上げて
「さては、左様に候か」と
或いは、怒り
或いは、嘆き
誠に、狂気の如くなり
聖も、今は堪りかね
堪え堪えし溜め涙
わっと斗に、声を上げ
そのまま、御前へ打ち伏して
身も浮く斗に泣き沈む

 


説経祭文 三荘太夫 卅五 太夫親子呼揚段 上


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

三十五 太夫親子呼揚段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・松五郎・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

太夫親子呼上の段


若太夫直伝


さればにや、是は又
聖は、ようよう、涙、押し留め
「その御(おん)嘆きは、ご尤もには候が
余りにお嘆き遊ばしては
却って、姉上様、未来の為ならず
只、此上は、あなた様の手ずより

一遍の御回向あらば
草葉の陰より
さぞかし、篤くもお請け遊ばさん
先ず先ず、姉上様へ
手向け(たむけ)の御回向遊ばせ」と
御骨(おんこつ)位牌を、聖殿
御本尊、御前へ飾られて
香華(こうげ)灯明、輝かし
用意をなしておわしける


御(おん)労しの若君は
涙のお顔、振り上げて
遙かの次に打ち向かい
「皆々、これへ」
と、宣えば
はっと答えて御近習諸子
皆々、御前へ出で来たり
何のご用と手を突けば
「如何にとよ、皆の者
その方達に、物語るは今日が初
我、一旦、世に落ち
姉上諸共、丹後の国由良が湊
三庄太夫広宗と申す
邪見の家に買い取られ
慣れも習わぬ下々の業(わざ)
今日は、一命を捨てん
明日は、一命を捨てんと
思いし事は度々なれど
母上様の御教訓を守り
月日を送るその内に
姉上様のお情けにて
山路より、都へ落ちるその折から
後より、追っ手が掛かる
当寺を、見掛け、駆け入り
住僧の情けにて
危うき所を、匿い助け
夜に紛れ、都へ送り出ださるる
又、都にて、露命の種に尽き果て
乞食非人とまで成り下がりし所
梅津大納言広忠卿に拾い上げられ
三が国の主となりて
佐渡ヶ島よりこの国への順見
なれども、情けなきは
太夫が元に残し置きたる姉上様
邪見なる太夫親子の奴原
弟を山から逃がしたるその咎(とが)とて
姉上様えお責め悩まし
剰え(あまつさえ)

炮烙罪科(ほうろくざいか)の火責めに掛けて責め殺し
又、その上に、
亡骸を、構いの藪へ打ち捨て
鳶や烏、犬の餌(えば)にならせ給うを
住僧の情けにて
夜半に紛れ、太夫が構いへ忍び
亡骸を残らず、拾い持ち来たり
火葬の煙となし
御骨(おんこつ)は、あの通り、
器に納め
御戒名と諸共に
御本尊、御前へ飾り置き
朝暮の御回向、怠らずと
只今、住僧の物語

只、この上は
太夫親子の奴原を
当寺へ呼び上げ、罪を糺し(ただし)
重き仕置きに行わん
即ち、この庭前を、白州と定めん
早く、用意を致してよからん
なれども、三庄太夫、五人の子供ある中に
総領太郎広義(ひろよし)
これは、罪も報いも有らざる愚か者
又、二男の次郎広次(ひろつぐ)
これは至って、情け深き者なれば
これは取り立て、恩賞を行い、召し使わん
三庄太夫、三男の三郎、四郎、五郎
この四人の奴原は
絡め取って、糾明を申し付け
重き仕置きに行わん
何はともあれ、太夫が元へ使いを立てん、
村役人をこれへ」とある
はっと答えて、御近習諸子
村役人を呼び立てる
はっと答えて、杢左衛門
末座に来たりて平伏す
有俊君
「これ、村役人
大義ながら、その方達は
由良が湊、三庄太夫が元へ急ぎ行き
親子六人、家内残らず
まった、由良千軒にて
主(あるじ)たるべき者共を
残らず召し連れ
只今、国分寺へ参るべしと
申し渡して来たれ
早や、疾く、急いでよからん」と
仰せにはっと村役人
御受けなして、それよりも
年寄り百姓組頭
同道なして、杢左衛門
太夫が元へ急ぎ行き
右の赴き、申し渡して戻りける

 




説経祭文 三荘太夫 卅五 太夫親子呼揚段 下


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

卅五 太夫親子呼揚段 下

  

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・松五郎・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

太夫親子呼上の段


若太夫直伝


有俊君は、その時に
姉上様の御骨(おんこつ)位牌に打ち向かい
暫く、御回向遊ばされ
太夫親子の来たるのを
今や遅しと待ち居ける


それは扨置き
三庄太夫広宗は
親子六人、家内残らず
由良千軒のその内にて
主たるべき者共を
残らず集め、打ち連れて
由良が湊を立ち退いて
渡りが里へと、急ぎ来る

早や、国分寺になりぬれば
かの杢左衛門が取り次ぎにて
お国主様へ申し上げる
対王君、聞こし召され
「その義にあらば
千軒の者共は後に残し
太夫親子家内の者ばかり
白州へ呼び入れよ」
「畏まって候」と
御前を下がり
三庄太夫にその由、申し渡しける
太夫、
「畏まり奉りまして候」と
由良千軒の者共を、皆、後に残し
親子六人、家内残らず、引き連れて
切戸の内に入りけるが
間も無くそれより白州なり
遥かに向こうを見てあれば
褥(しとね)の上に御(おん)国主
数多の御近習諸侍
稲麻竹葦(とうま・ちくい)と並み居ける
扨又、白州の回りには
警護の侍数(す)十人
袴の股立ち高く取り
拳を握り控え居る
太夫親子の者共は
大地に頭を擦りつける
有俊君は、遥かにご覧ありて
「由良の湊、三庄太夫広宗とは
その方がことか」
仰せにはっと、太夫、面を上げ
「へい、畏れながら
お国主様へ申し上げます
丹後の国、木津の庄、浦富の庄、由良の庄
三がの庄を支配仕ります
三庄太夫広宗と申しまするは
下拙(げせつ)が事でござります

これなるは、五人の倅
総領は太郎広義(ひろよし)
次男が次郎広次(ひろつぐ)
三男、三郎広玄(ひろはる)
これは、私が、掛かり息子でござります

 次が四郎広時、五郎広国
後は、皆、下職の奴らでござります」
有俊君、聞こし召され
「如何に、太夫親子の者共
その方達は、我が面体に、見覚えの候や」
仰せに太夫
「畏れながら、遙々
都より、御到着の
お国主様の御面(おおもて)を
見覚えましょう様が御座いませぬ」
「成る程、見忘れつらんも、無理ならず
正月十六日に山路より欠け落ちなしたる
忘草(わすれぐさ)は、某なり
よくも、姉上様を
非道に、火責めに為したる」と
仰せに、はっと、親子の者
「こは、叶わなじ」
と立ち上がり、逃げんとするを
警護の者、太夫、三郎、四郎、五郎の四人をば
高手小手に縛めしは
小っ気味良くこそ見えにける
太郎、次郎の兄弟は
その儘、御前へ召されつつ
佐渡と丹後の奉行職
扨又、伊勢の小萩殿
これも、御前へ召し給い
改名なして、安寿姫
都よりもご用意の
姉上様の召し物は
伊勢の小萩に下さるる
小萩は、斜めに喜んで
有り難涙に暮れ給う
太夫親子の縄付きは
早や、引き立て、仮の獄屋へ押し込めて
糾明とこそ、知られける
有俊君は由良千軒の者共に
打ち向かわせ給い
「七か年がその内
作り取りの、無年貢を申し付ける」
皆、千軒の者共は、喜び勇んで戻り行く



 とうま‐ちくい〔タウマチクヰ〕【稲麻竹葦】

《稲・麻・竹・葦の群生するようすから》多くの人が入り乱れて集まっているようすや、幾重にも取り囲んでいるようすをたとえていう語。

京都府京丹後市網野町木津

鳥取県岩美郡岩美町大字浦富

かかりむすこ【掛かり息子】とは。意味や解説、類語。親が老後の頼りにしている息子。


説経祭文 三荘太夫 卅六 大尾 親子鋸挽段


説経祭文

三荘太夫

対王丸

 

卅六 大尾 親子鋸挽段 

  

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・忠二・粂八・蝶二

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

親子鋸挽の段


若太夫直伝


去ればにや、是は又
有俊君は、御近習諸子に、打ち向かい
「何はともあれ、此上は
早々、太夫親子の奴原を
重き仕置きに行わん
仕置きの場所はやよい峠(※八峠)休みヶ台
先ず、太夫広宗をば、鋸挽き(びき)に
三郎は、牛裂き
四郎、五郎の兄弟は
新身試しの嬲り殺し
仕置き場、申し付けられよ」と
仰せに、はっと御近習(きんじゅ)が
村役人を呼び出だし
やよい峠(※八峠)へ仕置き場、申し渡しける
村役人は御受けし
又々、村内、騒ぎ立ち
近在近郷村々へ
人足手当、助郷にて
数多の竹木、やよい峠(※八峠)へ付け出し
さんじき(桟敷)二段に掛けさせて
先ず正面に穴を掘り
三十五間に十五間
二重に矢来を結い回し
突棒、刺股、袖絡み
辺りも燦めく抜き身の槍
扨又、桟敷(さんじき)後ろには二疋の牛を繋がせて
早や、定日(じょうじつ)になりぬれば
 皆、ひとつ国の人々は
親子が仕置きに遭う事を
我も我もと見物の
やよい峠(※八峠)と申するは
人で山築く(つく) ばかりなり
先ず、上なる桟敷(さんじき)には
一段高く、安寿の姫の御(おん)位牌
香華灯明、輝かす
それより、御国主有俊君
此方の方に伊勢の小萩
戒名なして、安寿姫
弓手馬手には御近習諸子
扨又、下なる桟敷には
佐渡と丹後の奉行職
その外、数多の諸侍
列を乱さず並み居ける
斯くて、此方の方よりも
太夫親子の縄付きを
矢来の内へ、引き来たる
その時、親子の者共は
色青ざめて、がながなと
歩む足間も定まらず
桟敷下へ、引き据える
有俊君
「如何にとよ、警護の者
用意が良くば、鋸挽きに行え」と
仰せにはっと、広宗を
そのまま引き立て
掘ったる穴へ
乳より下を埋められて
乳より上を出だし置き
すでに、こうよと見えけるが
有俊君
「如何に、三郎
汝、父の首を挽き落とす気は無いか
父の首を挽き落としてあるならば

逃れ難無き一命を助け
刀に掛けて、褒美を取らせん
この義は如何に三郎」と
聞いて
「はは、畏まって候」と
悪に上見ぬ不敵者
父の側へ走り行き
「お国主様の仰せなり
覚悟をなされ」と言うままに
大いなる竹鋸を携えて
父の首へ押し当てて
片足、肩にふん掛けて(がけて)
ずるりずるりと三郎が
泣き叫ぶをも厭い無く
難無く、ころりと引き落とし
警護の者に渡しける
有俊君は高らかに
「天晴れ、でかした
それ、三郎に褒美の品を得させよ」と
仰せにはっと、此方より二疋の牛を引き来たり
物も言わさず三郎を
彼処へどうと引き倒し
左右の足を二疋の牛にくくし付け
六尺棒にて、追い回す
牛は、大きに驚いて
彼方此方と逃げ走る
あら、情けなや、三郎は
目口鼻より血を出だし
苦しむ事の限り無し
尚しも棒を振り上げて
頻りに牛を打ちければ
牛は驚き右と左へ、駆け出だす
無残なるかや三郎は
お尻(けつ)の割れ目から、みりみりと
二つに裂けてぞ、失せにける
四郎、五郎の両人は
警護の者共、打ち寄りて
新身試しの嬲り切り
目も当てられぬ風情なり
有俊君
「亡骸は、一カ国の者共への見せしめ
二夜三日(にやさんにち)が間、曝すべし」と
仰せ渡され
それより、御寺へ引き取りて
佉羅陀山の地蔵尊を国分寺へ納められ
安寿の姫のご位牌料と仕り
七百石の御朱印を下されて
それより、都へ上られて
梅津の御殿へ入らせられ
母上様の御共(おんとも)し
五十四郡へ引き移り
梅津の家も諸共に
目出度く栄え給いしは
昔が、今に、至るまで
感ぜぬ者こそなかりける

 

大尾

 

たいび【大尾】最後。終局。終わり