説経祭文 三庄太夫 廿一 水盃段 上


説経祭文

三庄太夫 

安寿姫
対王姫

 

廿一 水盃段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋沢吉・蝶二・粂七・松五郎

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

水さかずきの段
若太夫直伝

 

さればにや、これは又
地蔵菩薩の御(み)額なる
白毫(びゃくごう)よりも
金色(こんじき)の光りを発すとみえけるが
対王丸丸の額の焼鉄傷、消えて
地蔵菩薩の御額へ
只、麗麗(れいれい)と、

現われしは、利益の程こそ有り難や
姫君、はっと、驚いて
「これこれ、弟、
只、自らが、地蔵菩薩を、お恨み申せば
不思議や、御額の白毫より
金色の光りを発すと思いしが
そなたの額の焼鉄傷
跡無く消えて、地蔵菩薩の御額へ
焼鉄傷を只、麗々と、救わせ給う
斯程に、尊っとき地蔵尊を
お恨み申せし兄弟を
お許しなされて下さりませ
南無、佉羅陀山の地蔵尊

それそれ、兄弟が額に
焼鉄傷、ある中に
其方(そなた)に限って
焼鉄傷を救わせ給うは
其方をこれより、都へ落とし
出世をさせよとの
地蔵菩薩のお告げならん
そなたは、これより
姉に心を残さずに
都へ落ちて、出世をしてたもやいのう、弟」
若君、聞きて
「これは、したり、姉上様
落ちて、出世がなるならば
あなたが都へ御(お)落ちあそばせ」
「いやいや、それは、其方が
心得違い(たがい)
いつぞやも、言うて聞かする通り
自らは、岩城の家の総領と生まるる果報はありながら
有るに甲斐無き、女子の身の上
其方は、弟に生まれても
系図の備わる対王丸
其方が、都へ落ちてたもやいのう」
「いえいえ、姉上様
あなたが、お落ちあそばせ」
「これは、したり、弟(おとおと)
最前から、姉がこの様に、事を分け
都へ落ちよ申すのに
其方(そなた)は、姉の言う事を背きやるか
いつぞや、越後の国、直江の海上にて
母上様にお別れ申せしその時に
母上様の仰せには
もしも、弟に短慮のあるならば
母に、替わって、この姉に
そなたへ、意見をいたせと仰ったを
よもや、そなたは、忘れはしまいの
姉の言う事を背き
都へ落ちざるものならば
母無き後は、姉が母じゃ
母上様に、なりかわって
七生(しちせ)までの勘当じゃ
これより、太夫へ戻るとも
必ず、必ず、姉を持ったと思やるな
弟を持ったと思わぬ
赤の他人の対王丸、さらば」
と言うて立たんとす
若君、はっと驚いて
「やれ、待ち給え、姉上様
さまでの事にあるならば
なるほど、都へ落ちましょう
勘当、許させ給われ」と
手を擦り、泣けば、姫君は
「そんなら、そなたは、都へ落ちてたもりやるか
ちち(※ちい)うれしいぞや
姉の言う事を聞き分けて
都へ落ちる其方を
何のまあ、姉が勘当いたしましょう
そんなら、其方は
これより、都へ落ちて、出世をして給いのう
それそれ、せめて、其方が門出でを
祝うて、別れの杯と思えど
ここは山中で、酒、盃も、あらざれば
木の葉を斎(とき)の盃に
雪水絞って、酒となし
水盃にて、別れん」と
姉は、木の葉を拾われて
「これ、弟、この盃も
誠は、姉が初めて、差すが道なれど
其方は、これより都へ落ちて
出世を願う身の上
其方が、目出度う盃を
初めて、姉に差してたも
わしが、一献で、盃を預かり
そなたが出世をして
姉が方へ、輿(こし)乗り物を連(つら)させて
迎いに来るその時は
目出度く私が、
また初めて其方に差す程に
先ず、其方が、初めて
姉へ差して給もやいのう」

 


説経祭文 三荘太夫 廿一 水盃段 下

説経祭文

三庄太夫 

安寿姫
対王丸

 

廿一 水盃乃段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋沢吉・蝶二・粂七・蝶三

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

水盃の段
若太夫直伝

 

「左様ならば、姉上様
お言葉に任せまして、盃を初めまする」と
対王丸、泣く泣く、木の葉を手に取れば
姫君、諸手で、雪を寄せ
雪水、絞れば、弟の若
なみなみ、受けて、ひとつ干し
姉の安寿へ、
「憚りながら」と差す
姫君、木の葉を手に取れば
若君、諸手で、雪を寄せ
雪水、絞れば、姉の姫
なみなみ受けて、そのままに
ぐっと干したる雪水は
誠、五体へ熱鉄の通るが思いの、血の涙
そのまま、木の葉を投げ捨て
「これで、姉弟が別れの盃は、済みましたが
そなたに、言い聞かする事のある
ひょっと、後から、追っ手がかかるまいものでもない
例え、追っ手が掛かるとも
必ず必ず、短慮な心を出だしゃるな
死は一旦にして遂げ易し
生は万代にして受け難し
もしも、追っ手が掛かるなら
人里を尋ね、寺を聞き
寺が有るなら駆け入って
住持(じゅうじ)に由(よし)を語るなら
出家は、五戒を保つ身の上
その身を匿い(かくまい)くれる程に
必ず、必ず、短慮な心をいたしゃるよ(※な)
これなる守り袋の内なる
信太玉造(しだたまつくり)の一巻は、岩城の系図
これが、無うては、出世はならぬ程に
必ず、人手に渡しやるな
佉羅陀山の地蔵菩薩も、形見に送る程に
朝夕、随分、信心しや
又、落ち人の習いにて
草鞋(わらんず)を逆さに履き
登りし跡は、下りと見せ
下りし跡は、登りと見せるが
落人(おちゅうど)の習いとある
姉も、ともども手伝うて、支度をさせん」と姉の姫

佉羅陀山の地蔵尊、押し頂いて、守り袋へ納められ
襟にも掛けさせて
手づから、草鞋(わらんず)脱がせられ
逆さに履かせ、杖を左の手に持たせ
「そんなら、都へ、落ちてたも
これが、別れか、弟の若」
姉上様へ、「おさらば」と
一足、歩みて振り返り
二足歩みて見返りて
方角(ほうがく)知れぬ、山の中を
降り積む雪を踏み分けて
遙々、都へ、落ちて行く
後にも、残る、姉の姫
堪え堪えし、溜(ため)涙
一度にわっと声を上げ
そのまま、そこにどうと伏し
消え入るばかり、御(おん)嘆き

掛かる、嘆きの折からに
月は群雲、花には嵐の例えあり
強悪不敵の三郎は
降り積む、白雪、踏み分けて
山路を指してぞ、飛んで来る
なんなく、峠になりぬれば
ずかずかと、そばへ行き
襟筋、掴んで引っ立て
「やあ、女郎
おのれが、願いに任せ
童(わっぱ)と共に、山路の下職にでず(※だし)
あまり、戻りの遅き故
三郎、これまで、出で向こう
見れば、おのれは
役目の柴木、一本、樵りもせず
荷縄に縋って、その吠え面(づら)
見れば弟の童が、見えぬ
童子(わっぱし)めを、如何いたして候」と
問われて、はっと、姫君は
がながな震えて手を付いて
「申し、三郎様
弟は、最前、後の峠で別れましたが
未だ、これへは参りませぬが
もしや、お主様へ、戻りは致しませぬか」
三郎、聞いて
「ぬかしたり、女郎
後の峠で別れても、下職の道具がここに二人前
何ぼ此(これ)、木樵名人でも
空手で下職がなるものか
おのれが、吠え泣くその涙
最早、弟の童子めを、どちらへか逃がして
嬉し涙と見てとった
何と違いは、あるまい
どうでここでは、ぬかすまい
父の御前(みまい)で、詮議する
俺と一緒に失せおれ」と
痩せたる小腕(こがいな)ひっつかみ
我が家を指して、聞き摺り行く

 


説経祭文 三荘太夫 二十二 炮烙罪科段 上

説経祭文

三荘太夫 

安寿姫

 

二十二 炮烙罪科段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・竹太夫・春太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂八・松二・忠二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉

 

ほうろくざいかの段
若太夫直伝

 

去ればにや、これはまた
なんなく、我が家になりぬれば
先ず、姫君を、広庭へ、どっかと引き据え
一間に向かい
「申し、父上様」
と、呼ぶ声に
三庄太夫、静々と立ち出でて
「いつもいつも、仰山なる三郎が呼び声
見れば、女郎めを連れ来たり、何事なる」
「いや、何事どころじゃござりませぬ
女郎めが、最早、弟の童子めを
やたい峠(※八峠)から、どちらへか
逃がしましてござります
それゆえ、引きずり参って候が
この義は、如何、計らいましょうな」
太夫は聞いて
「その義にあらば
三郎、おぬしが力まかせに
打って打って、打ち据えて
童が行方を、白状させよ」
「はは、心得まして候」と
有りおう、篠竹、五六本
何の厭いも、荒縄で
元から裏まで、きりりと巻き付けて
所々にイボ、結(い)わい
水に浸して、持ち来たり
「さあさあ、女郎め
童が行方を真っ直ぐにぬかせ、ぬかせ」

と言うままに、背中には縦横十文字
りゅうりゅう、はっしと打ちなやす
あら、労しの姫君は
打たるる竹刀(しない)の下よりも
さも苦しげの声をあげ
「これこれ、申し、三郎様
知ってさい(え)だに、おる(ある)ならば
斯程お憂き目を見んよりも
何しに、行方(ゆくえ)を包みましょう
お許しなされて、下さりませ」
三郎聞いて
「黙れ、女郎
『知ってさいだに有るならば
斯程の憂き目を見んよりも
何しに行方を包みましょう
知らぬ事は、是非がねえ
お許しなされてくださりませ』
これ、そんなら、いいわと、
叩くをやめる三郎ならず、今、ひと打ち」と
竹刀を振り上げれば
太夫は、聞いて
「ヤレ待て、三郎
打つな、叩くな、やめにしろ
お主が、仕置き(しょうき)は手ぬるい、手ぬるい
なかなか、その女郎
竹刀ぐらいじゃ、白状はいたすまい
水責め、火責め、ぶりぶり拷問
極意の秘密が、ほうろく(炮烙)罪科の鉄球あぶり

火責めに掛けて、ほざかせよ」
「心得まして候」と
竹刀をがらりと、投げ出だし
山刀(やまがたな)を引っ提げて
背戸なる山へと飛んで行き
雪にたをみし(たわみし:撓みし)唐竹を
一丈あまりに、切り積もり
枝を払って持ちきたり
かの姫君を湯文字一つ、裸にし

二本の竹、その上に、仰(あお)に寝かし
両手両足(りょうそく)くくしつけ
鍬(くわ)にて、雪を掻き除けて
大地を 薬研(やげん)に掘り上げて
片炭(かたずみ)四五俵、小口(こぐち)を切って
八方(はっぽう)よりも燠(おき)を入れ
大いなる団扇(うちわ)をおっ取って
踊(おんど)り上がって、扇ぎ立てる
何かはもって、堪(たま)るべき
炎は盛んと起こりける
三郎手早く、左右へ、三尺あまり台をなし
炎の上に姫君を、鉄球なりに、投げ渡し
「さあさあ、女郎め
童が、行方、真っ直ぐに、ぬかせ、ぬかせ」

と三郎が、扇ぎ立ててぞ責めければ
あら、労しの安寿姫
「これこれ、申し、お主様
この身は、粉(こ)となれ、灰となれ
如何なる責めに遭えばとて
知らぬ事は、是非が無い
三郎様」
と、ありければ
三郎、大きに腹を立ち
「にっくき、女郎が世迷い言なり

 



炮烙(ほうらく)は、中国の伝承的な刑罰の1つである。
猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、その熱された丸太のうえを罪人に裸足で渡らせ、渡りきれば免罪、釈放するというものである。『史記』によれば、暴君であったとされる殷最後の君主帝辛(紂王)と、その愛妾妲己が処刑を見世物として楽しむために考案したという。

罪人は焼けた丸太を必死の形相で渡るが、油で滑って転落しそうになる。丸太にしがみつき、熱くてたまらず、ついには耐え切れずに猛火へ落ちて焼け死んでしまう。この様子を観ながら紂王は妲己と抱き合いながら笑い転げたという。

 

ゆもじ【湯文字】
〔「湯具」の文字詞〕
婦人の腰巻。


説経祭文 三荘太夫 廿二 炮烙罪科段 下

説経祭文

三荘太夫 

安寿姫

 

二十二 炮烙罪科乃段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・竹太夫・春太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂七・粂吉・忠二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

ほうろくざいかの段
若太夫直伝

 

(「にっくき、女郎が世迷い言なり)

 

白状させいで、おくべきか」と
又もや、炭を二三俵、小口を切って、ぶちまけて
おんどり(踊り)上がって、扇ぎ立てる
ものの哀れは、安寿姫
何かはもって、堪るべき
今は、総身(そうみ)の色変わり
苦しき御声(おんこえ)上げ給え

「これこれ、如何に、弟よ
邪見の親子が手に掛かり
姉は只今、最期なり
姉が憂き目のその内に
一里も遠く、落ちて給(たも)
えい、苦しやの、耐えがたや」と
叫ぶ声音も、上嗄(がれ)れて

惜しむべきには、身の盛り
惜しまるるべきは、年の頃
十六才を一期とし
かの三郎が手に掛かり
いつくは(?一過:いっか)の煙と、消え給う
三郎、それと、見るよりも
「申し、父上様
女郎め、最早、こねまして御座ります」

 太夫は、聞いて
「何、三郎、女郎めが、こねた?
情け無い事をいたした」

と 大声、上げて嘆かるる、 三郎聞いて、
「これはしたり、父上様
女郎の一疋や二疋
責め殺して、あればとて
大声、上げて、お泣きなさる
日頃のお心とは、相違いたす
父上様、この義は、如何に候」
と、太夫は聞いて、涙を払い
「馬鹿を言うな、三郎
おりゃ、その女郎がくたばったが
悲しくて泣くのではない
去年の暮れに
姉弟の奴らを、宮崎が元より
十七貫で、買い取り
今日が日まで、十七文が仕事もせぬに
童(わっぱ)は、山から逃げる
姉をば、てめえが責め殺す
どうやら、こうやら、 十七貫を棒に振った
これが、泣かずにいらりょうか
やれ、悲しや」
と、太夫殿、大口開いて、嘆かるる
三郎、聞いて
「成る程、父上様のお嘆き
ご尤もでござります、 去りながら、
歎いたとて、帰らぬこと
女郎が、亡骸(なきがら)は、
如何、いたしましょうな」
「いや待て、三郎
野辺の送りをするならば
投げ込みにやっても
二朱や五百は掛かる
ほんのそれが、入れ仏事とやらで 余計な仕事

今日は、正月十六日
地獄の釜の蓋も開くと言うて
世間では、手の内、勧進を出だすと言う

 太夫広宗、生まれ付いて
慈悲、善言、きつい、きらい(きずいぎらい:奇瑞嫌い?)
背戸の高薮へ打ち捨て
痩せたる犬の腹を肥やしてやるならば
賽日(さいにち)の功徳であろう

裏の高薮へ捨ててしまえ」
「心得ました」と三郎が
かの姫君の亡骸を
家前(かまい)の藪へ打ち捨て
父の御前(みまえ)へ駆け戻り
「申し、父上様
仰せに任せ、 女郎が亡骸は、

家前の藪に捨てましたが
これから、追っ手に掛かって
童子めを引っ捕らえて参らん
この義は、如何に候」
太夫は、斜めに喜んで
「成る程、追っ手に掛からん」と
「太郎、次郎、四郎、五郎
みなみな、子供等
追っ手の用意を仕れ」と
父の仰せに、是非も無く
太郎、次郎もその時に
追っ手の用意を致しける
四郎、五郎、三郎は、
喜び勇んで支度をす
 三庄太夫、六尺棒を杖となし
雪の降るをも厭いなく
「子供等、来たれ」
と、親子六人、打ち連れて
由良が湊を立ち出でて
山路を指して、追っかけ行く

うわがる【上嗄る】
声がうわずってかれる。

てこねる〔近世上方語〕
「死ぬ」をののしっていう語。くたばる。 「嚊かかの

【投(げ)込み】
投げ込み寺で行われるような粗略な埋葬。 

両国の回向院に、1分と200文を持参すると、埋葬と供養をして呉れた。

 

いれ‐ぶつじ【入れ仏事】
  費用を出すだけで、利益の戻らないこと。むだな出費

 

て‐の‐うち【手の内】
  こじき・托鉢僧?(たくはつそう)?などに与える金銭や米。

 

さいにち【賽日】
閻魔えんま詣での日。正月16日と7月16日。奉公人の藪入りの日。


説経祭文 三荘太夫 廿三 国分寺段 上

説経祭文

三荘太夫 

対王丸

 

廿三 国分寺段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・春太夫・三保太夫・君太夫

 

三弦
京屋長二・松五郎・粂七・忠二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

国ぶん寺の段
若太夫直伝

 

さればにやこれは又
登る山路の道野辺に
別れが辻を、早や過ぎて
七つ曲がり、八峠の
嘶く駒の沓掛や、千本松山、六人が
「童(わっぱ)、童」と、呼ばわって
峠を指して登り行く
中にも三男三郎広玄(ひろはる)は
あんまり駆けて、何か、木の根に蹴躓いて(けつまづいて)
大きに生爪、蹴放して
「おお、痛い」
痛いに気を取られ
童を、がらりと打ち忘れ
「河童、河童」と、呼ばわり行く
谺に響く、山彦の
遥かの麓(ふもと)で、若君は
その声(こい)、仄かに(ほのかに)、耳にとめ
はっとばかりに、驚いて
「あれあれ、聞こえる、人声(こい)は

まさしく、追っ手の者ならん
捕らえられては、一大事、如何はせん」
と、思いしが
「はあ、それそれ、姉上の教えに任せつつ
人里を尋ね、寺を聞き
寺があるなら、駆け入って
この身を匿い(かくまい)もらわん」と
降り積む雪、踏み分けて
麓を指して、急がるる
掛かる向こうの方よりも
白髪たりし老人が
僅かの柴木を背負われて
はとう(馬頭)の杖に身をもたれ
峠を指して登り来る
若君、それと、見るよりも
物問わばやと、走り行き
「いや、お待ち下され、ご老人

この行く先に、寺は、御座りませぬか」
老人、答えて
「あるとも、あるとも、この行く先に、
渡りが崎、ごう(江)の村というに
貧寺(ひんじ)なれども、

国分寺というて、一っか寺(じ)あり
その国分寺へ、これより、七八丁」
と、言い捨てて、峠を指して、登りける
若君、それと聞くよりも
「さあらば、その寺、尋ねん」と
とある山路を足早に
渡りが崎へと急がるる

 

それは、扨置き、此処に又
渡りが崎は、江の村
かの国分寺の聖殿
本堂の縁先へ、立ち出でて
庭の景色を只、つくんつくんと打ち眺め

「世の中の例えの通り
『貧乏人の煮る粥、葉飯(はめし)になる』とは、

ハテ、よう言うたものじゃ
愚僧も、去年の暮れから
この賽日ばかりは
搔き入れにしていて
今朝も、旗、天蓋の遣り繰り工面
閻魔様へは、数の供物を供え
参詣の人を待つに
折悪い、この大雪
参詣とては、只の一人(ひとり)も来ず
これでは、愚僧も、大きに勘定違い
如何、致したらよかろうぞ」と
小首を傾げ(かたげ)て居たりしが
かかる所へ、若君は、ようよう、尋ね来たりしが
大門先を見るよりも
「これが、教えの国分寺
さあらば、匿いもらわん」と
年端の行かぬ、あどなさは
杖、笠、草鞋(わらんず)
大門先へ、脱ぎ捨て
その身は、寺へ飛んで入り
聖のそばへ走り行く
「これこれ、申し聖様
後より追っ手の掛かる者
何卒、衣のお情けに
この身を匿い給われい、お聖様」
と、ありければ
聖は、聞きて、肝つぶし
「人を助けるは、出家の役
随分、匿もうてやりましょうが
当寺は、至って貧寺じゃ
それその様に、どこもかしこもぶっこわれて
屋根なぞも、捲れ(めくれ)次第
肋(あばら)素通(すどう)の国分寺
昼寝て、空が、見ゆるなり
どこでも、隠す所ない」
思い付いたる聖殿
寺代々、伝わりし、経文葛籠(つずら)を取り出だし
中なる経文、ぶちまけて
「窮屈ながら、しばしの間、これへ」
と、言うて、かの若君を忍ばせて
縦縄横縄、十文字、しっかとからげ
梯子(はしご)を一脚(きょく)持ちきたり
客殿の二面垂木(にめんたるき)へ掛けられて

葛籠を、背負い、聖殿
とつかわ(とっかわ)梯子を上られて(のぼられて)

垂木にしっかとくくし(※括し)つけ
降りて、梯子を片付けて
大門小門を閉められて
先ず、本堂へ立ち帰り
御本尊の御前へ座し給い
苛高数珠(いらたかじゅず)を押し揉んで

 声(こい)高らかに聖殿
「摩訶般若波羅蜜多心経、観世音菩薩」
と、お経読んで居たりしが
太夫親子の六人は、はちだい峠(※八峠)の方よりも
「童、河童」と、呼ばわって
渡りが崎へと追っかける
渡りが崎は、江の村
かの国分寺の大門先を
通り過ぎんとなしけるが
三男三郎、立ち止まり
「ああ、お待ちあそばせ、父上様
もう、先へ行くには及びませぬ
童が行方が知れまして御座ります」
太夫は、聞いて
「してまた、三郎
童子めは、どこにけつかる」
「あれ、ご覧あそばせ
国分寺の大門先に

つくねん

[副]何もすることがなく、ひとりでぼんやりしているさま。

 

用例
(※貧乏人の煮る粥はゆるくなる)
(※・・・は湯になる)

垂木が一段の地垂木のみであるのを「一軒(ひとのき)」言う。

垂木が上下二段にあるものは、「二軒(ふたのき)」と言う。

 

とつかわ
せかせかするさま。急ぎあわてるさま。

 

 

 

いらたかじゅず【苛高数珠】
そろばん玉のように,平たく角のたった玉の数珠。高い音が出る。山伏などが用いた。いらたか。


説経祭文 三荘太夫 廿三 国分寺段 下


説経祭文

三荘太夫 

対王丸

 

廿三 国分寺段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・筬(おさ)太夫・竹太夫・春太夫

 

三弦
京屋長二・粂八・松五郎・忠二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

国分寺の段
若太夫直伝

 

(「あれ、ご覧あそばせ、国分寺の大門先に)

 

我が家の目印、ついたる
小わらず(草鞋)が脱ぎ捨てある
殊に、今日は、正月十六日、大賽日(さいじつ)
例えば、雪が降ればとて
だんぽう(壇方)から、閻魔参り、墓参りも、来ようのに

日頃、いけ欲の深い
あの国分寺の木菟入
それに、大門小門を締めおくは

 当寺に童が隠れていると覚えたり
なんと、父上様、この義は、如何に」
「成る程、三郎
どうでも、掛かり息子は、お主に決まった

 如才の無い所に気の付く奴
そんなら、この寺を、詮議致さん」 と、
親子六人、それよりも
かの国分寺の大門を
すととん、すととんとぞ、打ち叩く
聖は、はっと驚いて
「そりゃこそ、追っ手が来たぞかし
なんでも、こんな時は
空つん坊がよかろう」と
尚しも数珠を押し揉んで
声(こい)高らかに、聖殿
「摩訶ら般若波羅蜜多心経、観世音菩薩」と
お経を読んで居たりしが
親子は、大きに、腹を立ち
「憎っくき聖が、空つん坊、 叩き破れ」
と言うままに
既にこうよとなしければ
聖は、大きに驚いて
「建立なして、あの大門
まる一年も経たざるに
打ち壊されてなるものか
どりゃ、どりゃ、咎(とが)めて、帰(かい)さん」と
怖々(こわごわ)ながら、本堂より
大門間近く、出で来たり
門の隙間から、そっと覗いて見て
「ああ、知れましたわい
最前から、この大門先を
すととん、とんとんとん、 とんがらし(唐辛子)なぞと
叩かっしゃるは、 誰かと思えば、ほんに
愚僧じゃなけれども、
 ひじり(※ぴりり)とからい(辛い)山椒 太夫親子の方々
何のご用」
と、やらかせば、三郎聞いて
「いや、我々親子、 ここへ来たるは、別儀にあらず
当寺に童が匿いあるであろう
早や疾く、その童を出して渡されよ」
聖は、はっと、思えども
さあらぬ体にて
「その様な者を匿いなぞ
致した覚え、決して御座らぬが
して又、なんぞ、確かな証拠でもあっての事で、御座るかな」
「やあ、だまれ、お聖
我々親子六人、

はちだい峠(※八峠)の白雪を 踏み分けし

足跡、 慕とうて来て見れば
この大門先に、我が家(いえ)の目印つけたる
小草鞋(わらんず)が脱ぎ捨てある
これが、確かな証拠だ」
聖は、聞いて
「すりゃ、この大門先に
目印の付いたる、小草鞋(わらんず)脱ぎ捨てある故
それが、確かな証拠じゃと言わしゃるのか
待たしゃれや
似た事があればあるもの
それそれ、去年の春の事であったが
この大門先に
馬の沓の子(くつのこ)、新しいのが
片々、落ちていたら
遙々と、上州の方から
博労達が、五六人
馬は来ぬかと、尋ねて来た
こんな事の間違いが競合(きょうごう)
国分寺の大門先へ
馬の沓や、小草鞋を捨つべからずと、
札でも立てずばなりますまい
三郎殿」 と、ありければ
太夫を始め、三郎、大きに腹を立ち
「憎っき聖が空事ぞ
この門開けざるものならば、 叩き破れ」
と言うままに
既にこうよとなしければ
さしもの聖も、もてあまし
是非無く、大門開けければ
六人、どかどか、乱れ入り
手早く三郎、お聖の 襟筋掴んで引っ立てて
先ず、本堂へ連れ来たり
どっかと引き据え
「やい、お聖、 早く、童を出せばよし
たって、知らぬと陳ずるなら
引っくくして、 由良が湊へ、連れ行って
憂き目を見せても
童を出させにゃおかぬ
さあ、ひっくくして由良が湊へ連れようか
但しは、童を出して、渡すのか
二つに一つの返答は
何と、何と」とありければ
聖は、少しも驚かず
「愚かの事の三郎殿
例え、この身に縄打たれ
如何なる憂き目に遭えばとて
知らざる童が、出さりょうか
三郎殿」
と、ありければ
三郎、聞いて
「すりゃ、何と、言わるる
例え、この身は縄打たれ
如何なる憂き目に遭えばとて
知らざる童が、出されぬ
そんなら、いいわと言うて
由良が湊へ、立ち帰る(かいる)親子にあらず
この上は、当寺を、家(いえ)捜し致すが
この義は、如何に」
聖は、聞いて、心の内に思うには
『例え、家捜し致すとも
よもや、二面垂木につるしある籠には、気は付くまい』
と、心得
「この上は、家捜しなりと
何(なに)なりと、勝手次第」
「そんなら、家捜し、いたさん」
と、親子六人、手分けをして
寺家(てらいえ)捜しをぞ始めける

 

だん‐ぽう〔‐パウ〕【×檀方】 檀家。檀徒。

 

ずく‐にゅう〔づくニフ〕【木=菟入】
 僧や坊主頭の人をののしっていう語。

 

 

かかり‐むすこ【掛かり息‐子】 親が老後の頼りにしている息子。

くつ の こ 【沓▼の子】
くつの底に並べて打った釘(くぎ)。

 
かた かた 【片方・片片】
① 二つあるうちの一方。かたほう。かたつかた。


説経祭文 三庄太夫 廿四 寺讒段


説経祭文

三庄太夫 

対王丸

 

廿四 寺讒段 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・春太夫・三保太夫・君太夫

 

三弦
京屋長二・松五郎・粂七・三亀

 

横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

寺さがしの段
若太夫直伝

 

去ればにやこれは又
中にも、三郎、広玄(ひろはる)は
まず、本堂の御本尊の弓手馬手
彼方此方と捜せども
更に、童の見えざれば
「さてさて、不思議の童子め」と
台所(だいどこ)指して飛んで行く
早や、台所になりぬれば
大黒柱の真ん中に
大きな節穴を、めっけ(目付け)出し
「この節穴が、合点が行かぬ」
と言うままに
人差し指と、中指を
二本、突込み(つこみ)掻き回す

はいとりぐも(蠅捕蜘蛛) めがにょろっと出る
「おのれにゃあ、用は御座無い」と
さて、それよりも、台所(だいどこ)の
箱と名が付きゃ、何(なに)ならん
椀箱、膳箱、箸箱、火口(ほくち)箱
鼠入らず(ねずみいらず)の引き出しや
飯櫃(めしびつ)までも掻き回し
残る方なく尋ぬれど
更に在処(ありか)も知れざれば
地蔵堂へと乱れ行き
地蔵堂になりぬれば
小暗い所に、石の地蔵
笠を被って立っている
三郎、童と心得て
しっかと捕らえて見てあれば
「石の地蔵か、一杯喰った」
と、腹を立ち
握り拳を振りあげて
地蔵の頭を張り倒す
その時、地蔵の申すには
「これこれ、申し、三郎様
私は、芯まで石だから
いくら食らあ(わ)されても痛く無い
お手は、傷みはせぬか」
と、言われて、三郎、呆れ果て
「世の中の例えにも、

『地蔵の顔も三度、撫でれば、腹を立つ 』と言うに
握り拳を振り上げて
二つ三つ、食らわしても
腹も立たざる馬鹿地蔵
おのれに、用は御座無い」と

地蔵堂を立ち出でて
焔魔堂を訪ねられ
しゆらうどう(?しょうろうどう:鐘楼堂)へ飛んで行く
鐘楼堂になりぬれば
軒の下に大きな
熊ん蜂の巣を目付け(めっけ)出し
『何(なん)でもこいつは童が頭』と心得て 
墓場掃除の竹箒を尋ね出して持ち来たり
やたらに下からつつけば
蜂は、大きに腹を立ち
皆、一同に、飛んで出て
三郎めがけて、刺さんとす
刺されちゃならぬと逃げ出だす
蜂は、頻りに、追い来たる
如何はしけん、三郎は
仰(あお)のけ様に
滑って、転ぶと見えけるが
中にも、ひとつの熊ん蜂
かの三郎が、内股へ入ると見えたるが
お金玉なぞ、ちょいと刺す
刺されて、その時、三郎は、痛いとも言わず
痒い(かいい)とも言わず
只、べそべそと泣いている

三庄太夫(だゆう)は、駆け来たり
「やい、三郎、お主は
蜂に、お金玉を、刺されたな
蜂に、刺されたは、歯くそが薬」
と、言うままに
六十年来溜めたる歯くそを
しこたま取って、つけてやる
「やれやれ、恐ろしや毒虫(どくちゅう)
見ている内に、おぬしが、お金玉が、
鉢匏瓜(はちふくべ)の様に腫れ上がった

その様に、金玉が、でっかくなっては
もう、由良が湊へは戻れまい
去りながら、金玉のでっかくなったも
もっけ、重宝

大方、今年の暮れ辺りは
ごゐ(?)のたまさきしんでん(玉崎新田)の方から

百両の持参で、三郎を
金玉望みの嫁が来る、てめえも喜べ」
と、言えば
其の時、三郎は
「ああ、これは、したり、父上
地口どころじゃ、御座りませぬ

ひりひり、ひり付いて、答えられませぬ
まだ、尋ね残したは、あれ、本堂の縁の下」
太夫は、聞いて
「成る程、如才ない所に、気の付く奴
縁の下へ、俺が入って、童子めを尋ね出ださん」
と、太夫殿
何処の国に、帯び、とくとく(解く、疾く)と
越中のどしふん、ひとつの丸裸で
犬のもぐった穴よりも
無理無体にもぐり込めば
後から三郎、同じく裸で、もぐり込む
親ももぐれば、子ももぐるとは
この時、初めて、唄い出す
彼方此方へ這い回れど
更に、童も見えざれば
蜘蛛の巣だらけな頭にて
元の穴から、這い出だす
聖は、それと、見るよりも
茶を、五つ六つ、盆に乗せて、持ち来たり
「当寺は、至って、貧故、去年の暮れには
碌々(ろくろく)煤掃き(すすはき)も、致さぬに
初春早々、由良の湊から、親子六人にて
煤掃きの手伝い、

そしてまあ、縁の下までの掃除
大きに、お世話、お茶でもあがれ」
と、差し出だす
三郎は、盆も茶碗も投げ出だし

ふくべ【×瓢/×瓠/×匏】. 1 瓢箪(ひょうたん)のこと。、
「長フクベ」と「ハチフクベ」は、江戸時代の干瓢

 

 

もっけ【物怪・勿怪】

思いがけないこと。意外なこと。また,そのさま

 

 


 京都府宮津市字矢原 小字玉崎:玉崎神社

 

じぐち【地口】
ことわざや成句などをもじって作った語呂合わせの文句。「下戸に御飯(猫に小判)」の類。口合い。

 


説経祭文 三荘太夫 廿五 聖誓文神おろしの段 上


説経祭文

三荘太夫
安寿姫
対王丸

 

廿五 聖誓文神おろしの段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋沢吉・蝶二・粂七・粂八

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

神おろしの段
若太夫直伝

 

 

去ればにやこれは又

(太夫)「我々親子六人、残るとこなく
寺家(てらや)捜しをなす
童が在処(ありか)が知れぬ
当寺は、元より真言宗

秘密の法をもって、
童子めを、胸三寸が、その内に
匿い置くと、覚えたり
誠、匿わざるものならば
我々、親子が目通りにて
大誓文を立てられよ」と
言われて、はっと、聖殿
心の内に思すには
『現在、匿い置きながら
大誓文を立てるなら
妄語戒を破るなり
さは、去りながら、あの若を
無残と出して、渡すなら
殺生戒を破るなり
如何はせん』
と、とついおいつ
暫く、御思案なされしが

心に、つくづく思うには
『三荘太夫親子の者共は
由良が湊で育ちしままの我が儘者
大誓文を立てよと申したとて
よもや、大誓文のいくたては知るまい

 さあらば、空(そら)誓文を立て
この場を欺き(あざむき)
由良が湊へ帰さん』と
面(おもて)を上げ
「如何にも、大誓文を立てましょう
それにて、聴聞あれよ」と
塵を結んで、身を清め
御本尊、御前(みまい)へ差し給い

苛高数珠を押し揉んで
声高らかに、聖殿

「そもそも、愚僧と申するは
元、この国の者ならず
誕生は、ひがみ(氷上)の郡(こおり)安部の善司が総領なり

幼少にて、父母(ちちはは)に遅れ
父母(ぶも)孝養 のその為に
年七才にて、出家をし
播磨の国は書写山に分け登り
数のおん(御)経訓読す

 其の経々のばつとう(罰当)を被るとも
童においては、知らざりし」と
空誓文を立てらるる
三郎、聞いて、打ち笑い
「ほんのそれは、
旦那騙しの、時喰らい誓文
この三郎、そのような誓文は、聞きたく無い
誠の誓文と申するは
大日本六十四州大小の神祇(じんぎ)
神降ろしが聞きたい
さあ、誠の誓文を立てるか
童を出して、渡すのか
但しは、ひっくくして
由良が湊へ連れようか
三つに一つの返答は
何と、何と」
とありければ、聖は、直しも驚いて
『今立てたりし誓文さえ
世にも物憂く、思いしに
大誓文を立つるなら
妄語戒を破るなり
さは、去りながら、あの若を
無残と出して、渡すなら
殺生戒を破るなり
妄語戒も破られぬ
殺生戒も破られぬ
如何はせん」
と、とつおいつ、暫く御思案、なされしが
心に、つくづく思うには
『それそれ、その古(いにしえ)
比叡山発性坊(ほっしょうぼう)は、
雷鎮(らいしず)めの為に、御門へ召され
紫宸殿(ししいでん)にて
発性坊、兼ねて菅丞相の祟りと知ろし召さるる故
雷鎮めの体にもてなし
心の内にて、時平(しへい)が一族を調伏ありしとある

発性坊さえ、しん(神)より、おこって(起こって)
妄語戒を破らせ給う、これを思えば
我、大誓文をたてるとも
人間、一人(いちにん)助けるなら

 

とつ‐おいつ
[副](スル)《「取りつ置きつ」の音変化。手に取ったり下に置いたりの意》考えが定まらず、あれこれと思い迷うさま

いく‐たて
物事のなりゆき。いきさつ

ちりをむすぶ【塵を結ぶ】
塵手水ちりちようずを使う。

 

 

 

氷上郡(ひかみぐん)は兵庫県(丹波国)にあった郡。

 

 

 

書写山・書寫山(しょしゃざん)は、兵庫県姫路市にある山。山上には西国三十三所の圓教寺がある。。

 

比叡山法性坊は大天狗。京都府と滋賀県の境に棲む天狗で、密教系の祈?秘経『天狗経』に載っている全国代表四十八天狗の一人に数えられている。

『雷電』(らいでん)は、能楽作品のひとつ。菅原道真が大宰府に左遷され憤死、死後雷となって内裏に祟ったというエピソードをもとに構成された能である。『太平記』、『北野天神縁起絵巻』などに取材しており、後世の歌舞伎『菅原伝授手習鑑』にも影響を与えたとされる[3]。別称『妻戸』(つまど)。


説経祭文 三荘太夫 廿五 聖誓文神おろしの段 下


説経祭文

三荘太夫
安寿姫
対王丸

 

廿五 聖誓文神おろしの段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋沢吉・蝶二・粂七・粂八

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

神おろしの段
若太夫直伝

 

(我、大誓文をたてるとも
人間、一人助けるなら)

 

妄語にて、妄語にあらず
さあらば、大誓文を立てん』と
思い定め、面(おもて)を上げ
「是非に及ばぬ、三郎殿
大誓文を立てましょう
暫く、猶予あれよ」と
言いつつ、湯殿、下がられて
身を清浄(しょうじょう)に清められ
衣の袖を玉襷

早や、本堂へ立ち出でて
先ず、御本尊へ御灯明(みあかし)点じ、香を組み
さて、それよりも、護摩壇上へなおられて
大いなる、錫杖振立て
声(こえ)高らかに
「そもそも、上は梵天、下は帝釈

清水(しみず)四大の天王にて
閻魔法王、五道の冥官
下界が地までも明らかに
照らさせ給うは、伊勢の国
度会(わたらい)の郡、山田の里に鎮座まします
日読みが天照大神宮なり 

百二十末社の御神(おかみ)に
いずれに愚かは、あらねども
中にも、尊っとき御(おん)神は

あめのみや(雨宮)には風宮

 月夜見(月読み)、日読みの御尊(おんみこと)
天岩戸が(?)金胎両部、大日如来

あさまがだけ(朝熊ヶ嶽)には、福一満(福威知満)虚空蔵

一の宮には、椿の明神 

紀伊の国には、日の前(まい)明神

志摩の国には、いざわ(伊射波)の明神

河内に、平岡大明神
和泉に、大鳥大明神
 摂津に住吉大明神
山城の国、賀茂が下、上の大明神

美濃に、なんぐん大明神
近江に、たてべ大明神 

尾張に熱田の大明神
三河の国に、とがの明神

 遠江には、ことまち明神
 駿河に浅間大明神

 大日本は、六十六国(くに)の御(おん)神、残らず、降ろし奉らば
なかなか、急には、果てやらず
数多の(あまた)神の政所(まんどころ)
出雲の国の大社(おおやしろ)
総じて、神の御数が
九万八千七社なり
仏の数が、一万三千余仏なり
神罰仏罰、被るとも
童においては、知らざりし」と
大誓文をぞ立てらるる
太郎次郎の兄弟は
「申し、父上様
お聖殿があのように
大誓文を立てらるる上は
最早、由良が湊へ
お帰りなされては、
如何に候」
太夫は、聞いて
「成る程、そち達が、言う通り
最早、湊へ戻らん」と
親子六人、先ず
本堂を立ち上がり
庫裏(くり)、客殿に差し掛かる
強悪不敵の三郎が
二面垂木の葛籠(つづら)を見つけ
「合点の行かぬ、あの皮籠(かわご)
引きずり降ろして、みましょう」と
梯子を一脚(きょく)持ち来たり二面垂木に掛けられて
既に、こうよと、見えけるが
聖は、はっと驚いて
そのまま、そこへ、駆け来たり
三郎足に取り縋り
「あれは、寺代々、伝わる
古き経文でござる
あのまま、おいてくだされ」と
止めれば、はったと蹴飛ばして
からからと、駆け上がり
山刀(やまがたな)を抜き放し
切り落とさんと、振り上げれば
ああら、不思議の次第なり
葛籠の内より、金色(こんじき)の光りを発すと見えけるが
かの三郎が、両眼に
 霧吹きかかり目も眩み
真っ逆さまに落っこちて
大きにおけつを打たれける
親子は、皆々、驚いて
かの三郎を介抱し
とある御寺(みてら)を打ち連れて
由良の湊へ戻りける

古説経:さんせう太夫

「上に梵天帝釈、下には四大天王・閻魔法王・五道の冥官・・・」

 

 

山田(やまだ)は三重県伊勢市の地名である。伊勢神宮外宮の門前町(厳密には鳥居前町)として成熟してきた地域であり、現在の伊勢市街地に相当する。古くは「ようだ」「やうだ」などと発音した。

 

度会

わたらいぐん・ちょう【三重県】

[度会]
宮川の流域に位置する郡。古代の神郡が分割され、伊勢国「渡相郡」→「度会郡」。「和名抄」は「わたらひ」と訓じている。伊勢神宮の神領の境界をなし、神域に入るための禊(みそぎ)をした神聖な川「度会の大川」(宮川)に由来する。なお、宮川の呼称は伊勢神宮の近くを流れていたことに因む

 

末社 雨宮八幡社(あめのみやはちまんしゃ)御祭神天之水分神(あめのみくまりのかみ) 國之水分神(くにのみくまりのかみ)品陀別命(ほんだわけのみこと)御例祭 七月十六日. ... 三重県の北部の神社、別名:北伊勢大神宮. 多度大社

風宮(かぜのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。

 

(こんだいりょうぶ)金胎両部
 大日如来(だいにちによらい)の、

知徳を表す金剛(こんごう)界と

理徳を表す胎蔵(たいぞう)界

 

金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院である。山号は勝峰山、院号は兜率院と称する。本尊は虚空蔵菩薩である。朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。

 天長二年(825)弘法大師空海が真言密教の根本道場を建て本尊に福威知満虚空蔵菩薩を祀り勝峰山兜率院金剛證寺と称しました。弘法大師空海は当山において虚空蔵求聞持法を修したと伝えられている

 

椿大神社(伊勢国一之宮)
鎮座地 三重県鈴鹿市山本町1871
主祭神 猿田彦大神

 

紀伊国の一宮
日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、和歌山県和歌山市にある神社。1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。

 

伊射波神社(いざわじんじゃ)は、三重県鳥羽市安楽島町(あらしまちょう)の加布良古崎にある神社。式内社(大社)論社で、志摩国一宮。旧社格は無格社。

別称として「志摩大明神」・「加布良古大明神」・「かぶらこさん」等とも呼ばれる。

 

河内国一之宮 太古の聖城:枚岡神社
 古くは枚岡社・枚岡大明神・平岡社・平岡大明神、 枚岡は「ひらおか」と読む

 

大鳥大社(おおとりたいしゃ、正式名:大鳥神社)は、大阪府堺市西区鳳北町にある神社。式内社(名神大社)、和泉五社の1つで和泉国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国の大鳥神社および大鳥信仰の総本社とされる

 

住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約2,300社ある住吉神社の総本社

 


 美濃国一の宮
南宮大社 なんぐうたいしゃ
岐阜県不破郡垂井町宮代

建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市にある神社。式内社(名神大社)、近江国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「建部神社」。

 

 

砥鹿神社(とがじんじゃ)は、愛知県豊川市にある神社。式内社、三河国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789メートル)の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座する。

 

小國神社(おくにじんじゃ、おぐに-)は、静岡県周智郡森町にある神社。神紋は「右三つ巴」である。式内社、遠江国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。当社に参拝をして願い事が叶った人が、御礼として境内にある「事待池(ことまちいけ)に鯉を放ったという伝説から「ことまち」

 

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社。式内社(名神大社)、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。社家は富士氏。

 

 

 


説経祭文 三荘太夫 廿六 ひぢり道行の段 上


説経祭文

三荘太夫 
対王丸

 

廿六 聖道行の段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・伊久太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂八・粂七・粂吉

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

ひぢり つし王 道行の段
若太夫直伝

 

さればにやこれは又
後にも残る聖殿
葛籠(つづら)を、降ろし
からげし縄を解きほぐし
「旅の若よ」
と、ありければ
若君、そのまま、立ち出でて
「命の親のお聖様、如何い、

ご苦労掛けました
ご恩は、忘れはいたさぬ」と
両手を付いて、の給えば
聖は、聞いて
「今、太夫親子、我が誓文に、畏れをなし
由良が湊へ、立ち帰らんとなす時に
強悪不敵の三郎、葛籠をみつけ
梯子を持ち来たり
駆け上がらんとする故
我、足にすがって、止めるに
我を蹴飛ばし駆け上がり
山刀を抜き放し、切り落とさんとなしければ
不思議や、葛籠の内より
光りを放すと見えけるが
かの三郎が両眼に霧吹き懸かり
真っ逆さまに落ち
恐れをなして、親子
由良が湊へ戻りしが
其方は、なんぞ、有り難き
守りにても、所持なせしや」
「何を隠しましょう
有り難き、守りと申しまするは
これなる、地蔵尊にて候」と
守り袋の中より
地蔵菩薩を取り出だし
「ご覧あそばせ」
と、差し出す
聖、取って、押し開き
「こりゃこれ、まさしく
佉羅陀山の地蔵尊
さすれば、この地蔵尊の
御利益にてありけるや
ははあ、有り難や、尊や
此上、ともに、この地蔵尊は
随分、朝夕、信心あれ
して、先ず、最前より
見れば見るほど、卑しからざる
身の生い立ち
何国(いづく)の者にて
如何なる子細の候で
後より、追っ手が掛かり
当寺へ駆け込まれし
定めし、これには、子細ぞあらん
包まず、隠さず、語られよ」
と、問われて、その時、若君は
始終の様子を物語り
奥州五十四郡の主(あるじ)、岩木の判官政氏の一子
対王丸有俊(ありとし)と申す者にて候」と
聞くより聖は、驚いて
彼の若君の御手を取って
上座(かみざ)に敬い、聖殿
しばらく、敬い居たりしが
ややあって、面(おもて)を上げ
「さては、左様にましますや
誠に、世の盛衰とは、申しながら

太夫如き、匹夫下郎の手に渡り

 慣れも習わぬ下種(げす)の業
さぞ、御無念に、ましまさん
去りながら
三庄太夫親子の者共は
一門広き者に候えば
当寺に長居を遊ばすなら
再び、夜明けて、追っ手の来たるは治定
とてもの事に、愚僧、あなた様を
夜にまぎれ、都の方まで送り出して参らせん
なれども、人目を忍ぶ旅の空
御窮屈には、御座りましょうが
やはり、これなる皮籠へ」
と、以前の葛籠へ忍ばせて
縦縄、横縄、十文字、連尺付けて聖殿
旅の用意をなし給い
連尺取って、肩に掛け
まだ、夜を込めて、聖殿
御寺を出で、遙々と
都を指して、急がるる
行くも山道、戻るのも又
行く先も山の中
ゆくの(生野)木戸とは、これとかや

急げば程無く、今は早や
夜は、ほのぼのと明け来れば
聖は、片へに葛籠を降ろされて
縦縄横縄、解きほぐし
若君を出だし
「さぞ、御窮屈で御座りましたろう
御寺を出でて、遙かの道を隔てまして候えば
最早、追っ手の気遣いは、ござりませぬ
ちと、これより、あなた様も
おひろい遊ばせ 

あれ、四方、山々の雪景色をご覧遊ばせ
遥か、向こうに見えまするは
その古(いにしえ)
頼光朝臣、綱、公時、季武(すえたけ)、定光(さだみつ)、保昌(ほうしょう)
五人の臣(しん)を召し連れ

退治られたる、酒呑童子が住家
仙丈ヶ岳(※大江山のこと)、鬼ヶ城
此方へ落つる、あの滝は
血潮の滝(不明)と申すなり (※千丈が滝というのはある)
たが.。そとはぎをご覧ぜよ(?)、 若君様」
と、手を取りて
都を指して、急がるる


 

 

 

 

ひっぷ【匹夫】とは。意味や解説、類語。身分のいやしい男。また、道理をわきまえない男

大江(おほえ)山 いく野の道の 遠(とほ)ければ
     まだふみもみず 天の橋立
     小式部内侍(60番) 『金葉集』雑上・550

京都府福知山市字生野

 

 

 

 

 

 

お ひろい -ひろひ  【御▽拾い】
歩くことを敬っていう語。

五人の臣

渡辺舎人綱。羅生門の鬼と戻橋の鬼を退治、「髭切」(鬼切)所持

 坂田靭鞍負公時。酒田足柄山の金太郎、波切所持。母は足柄山の山姥

 卜部六郎季武。父は源満仲に仕え、源頼光とその母を救った。その功績で 

       卜部季武は頼光に仕えることとなる。?平家重代の名刀「痣

       丸」所持

碓井荒二郎貞光。平貞道ともいい、石切所持。身の丈七尺の大男で、戸隠

       神社のお告げにより源頼光に仕える。

藤原 保昌(ふじわら の やすまさ)平安時代中期の貴族。 武勇に秀で、道長四天王と称された。 頼光の叔父


説経祭文 三荘太夫 廿六 ひぢり道行の段 下


説経祭文

三荘太夫 
対王丸

 

廿六 聖道行の段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・伊久太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂八・粂七・粂吉

 

横山町二丁目
いずみや永吉板

 

ひぢり つし王
道行の段
若太夫直伝

 

辿らせ給えばようようと
これも、都に、隠れ無き
早や、七条に新たなる
朱雀(しゅじゃか)の社(やしろ)に着き給う
聖は立ち休らい
「申し、若君様
あなた様は、ご存知あるまいが
これは、七条朱雀権現と申し奉り
人の行く末、武運、出世を守らせ給う御神(おんかみ)
あなた様も、この権現をお祈りなされ
ご出世あってしかるべし
愚僧も又、ま(※も)そっと
あなた様に付き添いまして
御身の行末を
見届けたうは、候えど
最早、御寺へ戻らねばならぬ我身の上
お名残、惜しゅうは、候えど
最早、お別れ申さん」と
聞くより、若君、驚いて
「頼りのあなたに捨てられて
この身は、なんとなりましょう
御寺へ戻らせ給うなら
共に連れさせ給われ」と
衣の袖に取り縋り
消え入るばかりの御嘆き
聖も哀れと思えども
心、弱くて、叶わなじと
急き(せき)来る涙を押し留め
「これは、したり
若君様としたことが
あなた様を、御寺(みてら)へ
連れ戻りますくらいなら
遙々、これまで、送り出だしは、仕らぬ
あなた様、御寺に長居を遊ばしては
御身の為にならざる故
遙々、これまで送り出しましてござります
愚僧、お別れ申し
御寺へ戻るも別ならず
御寺へ戻ってあるならば
一日も早く、御身のご出世あるように
七日が間、祈祷の護摩を焚いて参らせん
又、祈祷の護摩、焚き終わってあるならば
由良が湊へ尋ね行き
姉上、安寿の姫様に、御(おん)目に掛かり
あなた様の御身の上、恙なきことを
語りお聞かせ申し
姉上様に、御安気(あんき)いたさせ参らせん
いつも、別れは、同じ事
去りながら、愚僧、あなた様に
又、会う(おう)まで
せめては、これを、形見に」と
衣の片袖、糸を抜き、若君様に渡されて
「しからば、お別れ申すべし
さらばにまします、おさらば」と
心強くも、聖殿
朱雀の社を立ち退いて
我が古寺へと戻らるる
後にも残る、若君は
頼りの聖に捨てられて
只、呆然と居たりしが
ようよう、心取り直し
「はつあ、それ
歎いたとて、詮無き事
さあらば、聖の教えに任せ
この身の出世を願わん」と
うがい、手水(ちょうず)で、身を清め
八つのきだはし(階:きざはし)上がられて
知らせの鰐口、打ち鳴らし
只一心に、手を合わせ
「南無有為、朱雀の大権現
乞い、願わくば、願わくば
憐れみありて、某を
御代(みよ)にも出させたび給え
南無有為朱雀権現」と
深くも宿願、込めけるが
物の哀れは、対王丸
露命の種もあらざれば
召されし、一重も売り払い
昼は朱雀の門前で
社詣での人々の
袖や袂に縋られて
慈悲者方から乞い受けて
乞食(こつじき)非人となり下がり
空しく、月日を送らるる




説経祭文 三荘太夫 廿七 骨拾段 上


説経祭文

三荘太夫

安寿姫 
対王丸

 

廿七 骨拾段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・妻太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・竹二・粂七・長二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉板

 

骨拾いの段
若太夫直伝

 

さればにや、これは又
程無く、御寺になりぬれば
旅の疲れも厭わずし
祈祷の護摩を焚き始め
対王君のご出世を
丹誠(精)凝らして、祈らるる
なんなく、七日、焚き終わり
翌る(あくる)その日になりぬれば
「それそれ、朱雀の社にて
対王君に、お別れ申す、其の時に
祈祷の護摩、焚き終わってあるならば
直ぐに、由良が湊へ行て(いて)

姉上安寿の姫様に御目にかかり
あなた様の御身の上
恙なく、都まで、送り出して候と
語り、お聞かせ申し
ご安気いたさせ参らせんと
言うて、別れし事もあれば
今日は、今から、由良が湊へ、行きましょう
いやいや、滅多にこのまま
由良が湊へは、行かれまい
もしも、太夫親子の者共に
見咎められてあるならば
愚僧を捉え、又々、如何なる難題を
申し掛けんも、知れ難し
はて、良き手段がありそうなものおお、それそれ
久しぶりにて、由良千軒
勧化(かんげ)がてらに参らん」と

俄に用意をなし給い
餉箱(げばこ)を背負い
仏御免の網代笠、

 六波羅しゅじょう(手杖)を杖となし
渡りが里を立ち出でて
湊を指して急がるる
野越え、山越え、里を越え
急げばようよう今は早や
由良が湊に隠れなき
三庄太夫が、構いなる
三の関屋になりぬれば
聖は、木陰に佇みて
『何処(いづく)に姫君おわすや』と
太夫が構い、彼方此方を伺えど
『更に、姿も見えざるは
さすれば、最早、姫君は
浜路の下職に出でられしか
如何、なされて候』と
やや、しばらくも、伺えど
更に姿も見えざれば
見咎められぬその内と
是非無く聖、三の関屋を立ち退いて
由良千軒の家々を
渡りが里は、江の村
「国分寺本堂建立」と,、 光明真言読誦無し
勧化を致し、通らるる

 これは、扨置き、此処に又
兼ねて、国分寺のお聖を
帰依なす、年寄られし妹背(いもせ)の者
爺は、山へ出がけの事
「あれ、婆、今日の寒さも、お厭い無く
国分寺のお聖様が、勧化に御座らしゃった
今に、これへ御座ったなら
何がな茶の子などを進ぜてよからん
おりゃ、山へ、行て(いて)くる」 と、
山路を指して、登り行く
程無く来る、聖殿
門(かど)にて、お経、読誦なす
老女は、それと見るよりも
先ず、托鉢を参らせて
「これはこれは、お聖様
今日の寒きも、お厭い無く
ようこそ、勧化にお回り遊ばす
さぞかし、お寒う御座りましょう
幸い、山茶の出花も出来ました
先ず先ず、これへ」
と、聞いて聖
「そんなら、辞儀なく
お茶の馳走になりましょう」と
餉箱(げばこ)を降ろして
囲炉裏(いろり)の端
老女は、手早く、ほた、差しくべて
山茶の出花を汲んで出し
何か、茶の子を出されて
良きにご馳走申しける
聖は、斜めに喜んで
四方山話になりければ
「これ、老母(ろうぼ)
ちと、そなたに、尋ねたい事が御座る
いつぞや、正月十六日の事であったが、 聞いて下され
三庄太夫親子六人、我が寺へ押し込み
『童が駆け込み、匿いあるであろう、出せ』と、言うて
種々様々の難題を申しかける
元より愚僧、知らぬ事故(ことゆえ)
知らぬと言えど得心せず
寺家(てらや)捜しを致し
その上、愚僧に大誓文を立てさせ
その誓文に恐れをなし
親子、由良が湊へ戻られしが
その童とやらが、 行方は知れまして御座るかな」
老女、聞いて、はらはらと、涙をこぼし
「お聞き遊ばせ、お聖様
その童が行方は知れませぬが、 それにつきまして
哀れなお話が御座ります
その童に、信夫と申しまして、 一人の姉が御座りましたが
年は、十六、それは、それは見目美しき生まれ付きで御座りましたが
あの三郎殿が山路より連れ戻り
弟を、何処(いづく)へ逃がしたと
いろいろ、責めますれど
童が行方を白状いたさぬと申しまして
炮烙の罪とやら申しまする
火責めに掛けて、責め殺しまして御座ります」と
聞くより聖、驚いて
急き来る涙を、押し隠し
「すりゃ、三郎殿
その信夫を、火責めに掛けて、 責め殺したや
ちぇえ、情け無い事をいたして御座る
してして、その信夫が亡骸は
いずれの寺へ、野辺の送りを致して御座るな」
「お聞き遊ばせ
葬る事は、扨おいて、 構いの藪へ打ち捨て
『鳶や烏、痩せたる犬の腹を肥やしてやるならば、 祭日の功徳じゃ』

と申しまして、 亡骸は、構いの藪へ
打ち捨てましたげに御座ります
あなた様もお出家の事なれば
御寺へお帰りなされたなら
せめて、一遍の御回向をなされて遣わさりませ」
聖は聞いて、尚しも急き来る涙を呑み込み
「返す返すも、有為無常の話しを聞きました
今は、愚僧も勧化を止めて
直ぐに、これから、寺へ戻り
縁も所縁もなけれども
早々、一遍の回向をしましょう
いつもながら、寄りまして
いかい馳走になります
爺の戻られたら、よう伝えて下され」と
心、漫ろに(そぞろに)、聖殿
餉箱を背負い、門にて、お経、そこそこに、由良が湊を立ち出でて
渡りが里へと急がるる

 

かん‐げ〔クワン‐〕【勧化】

[名](スル)《「かんけ」とも》
1 仏の教えを説き、信心を勧めること。「衆生を勧化する」

げばこ【餉箱】
托鉢僧たくはつそうが首にかけて施米せまいを入れる箱

 

しゅじょう【手杖】
つえ。特に禅僧の持つつえ。

 

六波羅手杖:ここでは錫杖(しゃくじょう)指すと思われる

錫杖(しゃくじょう)は、遊行僧が携帯する道具(比丘十八物)の一つである杖。十二環のものを縁覚杖、六環のものを菩薩杖と称すると説き、声聞杖の四環は、四諦(苦集滅道)、縁覚杖の十二環は、十二因縁、菩薩杖の六環は六波羅密を表す

 

光明真言(こうみょうしんごん)は、正式名称は不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)という密教の真言である。23の梵字から成り、最後の休止符「ウン」を加えて、合計24の梵字を連ねる。

オーン  オン アボキャ ベイロシャノウ 
マカボダラ マニ ハンドマ

ジンバラ ハラバリタヤ ウン

ほた【×榾/榾=柮】

《「ほだ」とも》炉やかまどでたくたきぎ。小枝や木切れなど。

 

ちゃ‐の‐こ【茶の子】

1 茶を飲むとき口にする菓子。茶請け。茶菓子。

 


説経祭文 三荘太夫 廿七 骨拾段 下


説経祭文

三荘太夫

安寿姫 
対王丸

 

廿七 骨拾段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・高太夫・妻太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・竹二・粂七・長二

 

横山町一(※二)丁目
和泉屋永吉板

 

骨拾いの段
若太夫直伝


斯くて、御寺に、なりぬれば
先ず、御本尊へ、御灯明(みあかし)点じ、香を組み
安寿の姫の御戒名
『安寿院信夫大姉』貞元(じょうげん)二年正月十六日

と、書き記し
御本尊、御前(みまえ)に直し
しばらく、御回向遊ばされ
「それそれ、最前、老女の物語
亡骸は、構いの藪へ捨てしとある

今宵、暗きこそ、幸い
由良が湊へ忍び行き
姫君の亡骸を拾い持ち来たり
火葬の煙となし
御(おん)骨は、器に収め置き
対王君、都にてご出世遊ばされ
我が寺へ尋ね来らせ給うその時
若君様への申し分け
さあらば、今宵、暗きを幸いに
太夫が構いへ、忍ばん」と
その日の暮るるを待ち居ける
程無く、その日も入相の
無常の鐘を告げ知らせ
甲斐甲斐しくも、用意なし
油単、風呂敷、背負われて
由良が湊へ、急がるる
やよい峠(※八峠)の細道を、心強くも聖殿
足に任せて急がるる
急げば程無く今は早や
由良が湊に隠れ無き
三庄太夫が構いの藪に、なりぬれば
くね垣破り、ようよう、忍び入りけるが
目指すも知れぬ真の闇
彼方此方と尋ぬれど
広き構いの藪なれば
更に、有りかも知れざりしが
何やら、足に触る物
取り上げてみれば
姫君様の御(おん)首(こうべ)
彼処(かしこ)に腕、足、豁(あばら)
算を乱せし如くなり
「はあ、誰あろう、奥州五十四郡の主
岩城判官政氏公の姫君
安寿の姫の身の成る果て
誠に世の盛衰とは申しながら
太夫如き、匹夫下郎の手に掛かり
非業の御最期をお遂げなされ
剰え(あまつさえ)亡骸は、

鳥(ちょう)畜類の餌(えば)となり
さぞ、御残念にましまさん
去りながら
若君は、愚僧、お匿い申し
危うきお命を匿い助け
その後、都まで送り出して候えば
やがて、若君様にも、都でご出世ましまさん
あなた様は、亡骸は
愚僧、御寺へ御共いたし
今宵の内に、火葬の煙と仕り
白骨は、器に納め置き
もしも、若君様
都にて、ご出世遊ばされ
我が寺へ尋ね来らせ給うその時には
若君様へ、ご対面を遊ばせ
其の後、お骨は、
紀伊国高野山へ持ち行き
納骨堂に納めん
必ず必ず、修羅の巷に迷わせ給うな
未来は、永永、成仏遊ばせ」と、
生きたる人に打ち向かい
物言う如く、述べられて
残らず亡骸(なきがら)集められ
油単に包み、背負われて
ようよう、藪を立ち出でて
二足三足、歩きしが
しきりに、辺りは、物凄く
後ろの藪の内よりも
「お聖様」と、呼ぶ声に
聖は、はっと驚いて
「はて、合点の行かぬ
今、お聖様と呼ばわりしは
確かに、女子(おなご)の声
はて、合点が行かぬ、何者なる」と
見やる向こうの藪の内
一つの心火、上がりしが 

安寿の姫の御姿は
只、ありありと顕れて
さも苦しげの声音にて
「申し、お聖様
私は、あなたのお情けにて
危うき命を助かり
都へ送り出されし対王丸が姉
安寿の姫にて候が
如何なる前世の業因やら
邪見の親子の手に掛かり
非業の最期を遂げ
亡骸は、この所に捨てられ
鳥、畜類の食となり
誠に冥途の苦しみは
例えて言わん方もなし
去りながら、弟を匿い下され、
危うき命を助け
都まで送り下され
今又、我が亡骸を拾い上げ
火葬の煙となし
白骨は末々、高野山骨堂に納めんとの仰せ
余りの事の嬉しさに
せめて、お礼申さんと
閻王にしばしのお暇、給わって
これまで、顕れ参りしが
最早、冥途の方(かた)にては
帰れ戻れと、修羅の太鼓の頻りなり
お名残惜しゅうは候えど
最早、冥途へ戻ります
さらばにまします、お聖様
お名残、惜しや」
と、ばかりにて
燃え立つ炎と諸共に
姿は消えて失せ給う
聖は、それと見るよりも
「定まる定業(じょうごう)来たりつつ
この世を去りし者だにも
四十九日がその内は
魂魄、この土を離れずし
中宇(ちゅうう)(※中有)を迷うとありけるに
邪見の親子が手に掛かり
非業の御最期、遊ばされ
御亡骸は、この竹藪へ捨てられて
鳥(ちょう)畜類の餌(えば)となり
さぞ、御無念にてましまさん
及ばずながらも聖めが
御(おん)菩提、問うて参らせん
早や、成仏遊ばせ」
と、しばらく、お経、読誦なし
とある所を足早に
渡りが里へと急がるる
程無く御寺になりぬれば
竹木(ちくぼく)の箸にて
お骨を残らず、器に納められ
御戒名と諸共に
御本尊、御前(みまい)へ飾り置き
朝暮の御回向、怠らず
お聖殿の有様は
その身の冥利と知られける

 

 貞元(じょうげん)は、日本の元号の一つ。天延の後、天元の前。976年から978年までの期間を指す。この時代の天皇は円融天皇。

くね
垣根。竹垣や生け垣など。くね垣。

しんか【心火】
激しい怒りや憎悪の感情を火にたとえた語。心の火。胸の火。 
神の怒りによって発する火。
② 幽霊・死者・墓の周囲を飛ぶ火。